『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」現代語訳
1.出逢い 2.真女子の家 3.太刀 4.捕縛 5.再会 6.正体 7.再婚 8.道成寺
怪異小説の傑作『雨月物語』から新宮近辺を物語の主な舞台とする「蛇性の淫」を現代語訳してご紹介。
「蛇性の淫」現代語訳2 真女子の家
新宮の里に来て「県の真女子の家は」と尋ねると、一向に知っている人がいない。昼過ぎまで探しあぐんでいたところ、あの年若い侍女が東の方から歩み来る。豊雄はこの侍女を見るや否やたいへん喜び、「お嬢さんの家はどこですか。傘を返してもらおうと尋ねて来ました」と言う。
侍女は微笑んで、「よくまあいらっしゃいました。こちらへお歩みください」と言って、前に立ってどんどん進んでいく。幾らも行かないうちに「ここですよ」と侍女が言った所を見ると、門を高く造ってあり、家も大きい。蔀を下ろし、すだれを深く垂らしているところまで、夢のなかで見たのと少しも違わないのを、不思議だと思いながら門に入る。
侍女は走り入って、「貸してくださった傘の持ち主の方がおいでになるのをご案内申し上げました」と言うと、「どこにいらっしゃるのか。こちらへお入りいただきなさい」と言いながら立ち出てきたのは、真女子である。
豊雄が「この土地の安倍と申す方は、私が長年ものを学んでいるお師匠なのです。そこに参上するついでに傘をもらって帰ろうと思って失礼ですが参上しました。御住居を見ておきましたから、またの機会に参上しましょう」と言うのを、真女子は無理にとどめて、「まろや(侍女の名)、決してお出し申し上げるな」と言うと、侍女が立ちふさがって、「傘を無理にお貸しくださったではありませんか。そのお返しに無理にもおとどめ申し上げます」と言って、腰を押して南向きの一番よい客座敷に豊雄を迎え入れた。
板敷きの間に床畳を敷いて(当時は客のあるときに畳を敷いた)、几帳(きちょう。台に2本の柱を立て、横木を渡して帳(とばり)を掛けたもの)、御厨子(みずし。観音開きの戸がついた棚)の装飾品、壁代(かべしろ。壁の代わりに上長押から垂らした帳)の絵なども、みな古い時代のよい物で、並の人の住居ではない。
真女子は立ち出て、「わけあって人手不足の家となったので、十分なご馳走もできません。ただ薄い酒を一杯おすすめ申し上げましょう」と言って、美しい器に海の物山の物を盛り並べて、とっくりと盃をささげて、まろやがお酌し申し上げる。豊雄はまた夢を見ている心地がして、また夢から覚めるのかと思うけれど、ほんとうに現実であることをかえって不思議に思っていた。
客も主人もともに酔い心地であるとき、真女子は盃をあげて、豊雄に向かい、桜の枝が水に映っているような顔に、春風をあしらうような風情で、梢の間をくぐる鶯のような美しい声をして言いだしたのは、
「恥ずかしいことを打ち明けず思いわずらうのも、どこかの神様に、祟りをしたという無実の罪を負わせることになりましょう(『伊勢物語』八十九段にある「人しれず我恋ひ死なばあぢきなくいづれの神に無き名おふせむ」による)。 決して浮ついた言葉にお聞きにならないでください。私はもとは都の生まれですが、父にも母にも早くにお別れ申し上げて、乳母の許で成長したのを、この国の国守の下司(下級の小役人)県のなにがしに妻に迎えられて伴って下ったのは、もはや三年も前のことです。
夫は任期の終わらぬこの春、はかなく病いでお亡くなりになったので、頼る者とてない身となりました。
都の乳母も尼となり、行き先を定めぬ諸国行脚の修行に出たと聞いたので、あちらもまた知らない他国となってしまったのをお憐れみください。
昨日の雨宿りのお情けに、誠実なお方と思いましたので、これから後の半生の命をもって、あなた様の妻としてお仕え申し上げたいと願うのを、汚らわしいとお捨てにならなければ、この一杯に、永久に続く夫婦の約束の契りをはじめましょう」と言う。
豊雄はもとよりこうなることを願い、心も乱れていた恋しい女だから、飛び立つばかりに嬉しく思うけれども、親に養われている自分の身分を顧みると親兄弟の許しが得られないであろうと、喜んだり、恐れたりして、すぐには返事もできないのを、真女子はわびしがって、
「女の浅はかな心から愚かなことを言いだして、いまさら後戻りできないのがお恥ずかしい。このように浅ましい体を海にも沈めず、あなたの心を煩わし申し上げるのは罪深いこと。今の言葉は嘘ではないが、ただ酔い心地の冗談とお考えくださって、ここの海へ捨ててお忘れください」と言う。
豊雄が、「初めから都人の身分の高いお方と見申し上げていたのは、我ながら賢明でした。「鯨寄る地の果ての浜辺に生まれ育った私にとって、このように嬉しいことはいつ承ることができましょうか。すぐにお返事できないのは、親や兄に仕える身なので、私の持ち物といったら爪や髪の他ありません。結納に贈ってお迎えする手段もないので、私に財産がないのを後悔するばかりです。
どんなことでも耐えてくださいますなら、どうしてでもお世話して差し上げよう。孔子のような聖人でさえ過ち倒れる恋の山。あなたへの恋のために、私は、親への孝行や兄の厄介者であるという身分も忘れましょう」と言うと、
「とても嬉しいお心をお聞き申し上げたからには、貧しくとも時々、ここにお通いください。ここに前の夫の二つとない宝としてお愛でになった太刀があります。これを常にお佩(は)きになってください」と言って与えるのを見ると、金銀を飾り立てた太刀で、恐ろしいほど見事に鍛えた古い時代の物であった。めでたいことの始めに贈り物を断るのは縁起が悪いからと思って、受け取って納めた。
「今夜はここでお明かしください」と言って、無理矢理とどめたけれども、「まだ親からの許しを得ていない外泊は、親が責めとがめるでしょう。明日の夜、偽って参りましょう」と豊雄は帰った。
(てつ)
2005.9.24 UP
2010.7.23 更新
2019.12.10 更新
参考文献
- 浅野三平校注『雨月物語 癇癖談』新潮日本古典集成22
- 青木正次訳注『雨月物語 下』講談社学術文庫