『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」現代語訳
1.出逢い 2.真女子の家 3.太刀 4.捕縛 5.再会 6.正体 7.再婚 8.道成寺
怪異小説の傑作『雨月物語』から新宮近辺を物語の主な舞台とする「蛇性の淫」を現代語訳してご紹介。
「蛇性の淫」現代語訳7 再婚
父母、太郎夫婦は、この恐ろしい話を聞いて、いっそう豊雄が過ちを犯していないのを憐れみ、一方では妖怪の執念深いのを恐れた。「このように独身であったからこうなったのだ。妻を迎えさせよう」とて相談した。
芝の里(今の和歌山県田辺市中辺路町栗栖川付近か)に芝の庄司という者がいる。娘を一人もっていたのを、朝廷の釆女(うねめ:天皇の身辺の雑用に奉仕する下級女官。地方官の子女から選ばれた)に参上させていたが、この度、お暇を申し出お許しをいただき、この豊雄を婿にしようとして、仲人を立てて大宅のもとへ申し込んだ。うまく話が進んで、すぐに婚約をした。
こうして都へも迎えの人を登らせたところ、この釆女の富子という者は喜んで帰ってくる。長年の朝廷での勤めに慣れてきているから、いろいろの振る舞いからして、姿なども華やかで美しかった。豊雄は婿として迎えられてみると、この富子の姿がたいへんよく、すべてに満足したので、かの蛇が懸想したこともちらちらと思い出す程度であった。初夜は何事もなかったので書かない。
二日目の夜、いい気分に酔って、「長年の内裏生活で、田舎の人はきっとうるさくお思いでしょう。宮中では、何の中将、宰相の君などという方に、添い寝をなさったのでしょう。今さらながら憎く思われますよ」などと戯れると、富子はすぐに顔を上げて、「古い契りをお忘れになって、このような取り柄のない女をご寵愛なさるのこそ、私よりあなたのほうが憎らしいですよ」と言うのは、姿こそは変わっているが、まさしく真女子の声である。
聞いて驚きあきれて、身の毛もよだって恐ろしく、ただあきれ惑うのを、女は微笑んで、「あなた、お怪しみにならないでくださいませ。海に誓い山に誓ったことを速くお忘れになるとも、そのような縁があるので、このようにまたお会いするのに、他の人の言うことを真実のようにお思いになって、無理にお遠ざけになるならば、恨んで報いましょう。紀州路の山々がどれほど高くとも、あなたを殺してあなたの血をもって峯から谷まで注ぎ落としてみせましょう。せっかくのお体を無駄にしてお亡くなりにならないでくださいませ」と言うので、豊雄はただ震えるばかりで、今にもとり殺されそうな気持ちで気絶してしまった。
屏風の後から、「ご主人様、どうしてそのようにご機嫌を悪くなさるのですか。このようにめでた御契りでありますのに」と言って出て来るのは、まろやである。豊雄は見て、また肝を飛ばし、目を閉じてうつ伏せに臥す。なだめたり驚かしたり、二人がかわるがわる声をかけるけれど、豊雄はただ死んだようになったままで夜が明けた。
こうして寝室を逃れ出て、庄司に向かい、「これこれの恐ろしいことがありました。これはどうしたら避けることができましょうか。よくお考えくださいませ」と言いながらも、後で聞いているだろうかと、声を小さくして語る。
庄司も妻も顔を青くして嘆き惑い、「これはどうしたらいいだろうか。都の鞍馬寺の僧で、毎年熊野に詣でる人が、昨日からこの向かいの山の寺に泊まっている。たいへん験のある法師で、大方、疫病、物の怪、害虫などをよくよく祈祷してくれるので、この郷の人はみな尊敬している。この法師を招こう」と言って、あわただしく呼び立てたところ、しばらくして来た。
かくかくの事情を語ると、この法師は鼻を高くして、「これらの人を惑わすつき物らを捕らえるのは何の難しいこともないだろう。安心していらっしゃい」と気やすく言うので、人々は心が落ち着いた。
法師はまず雄黄(ようおう。砒素の硫化物。悪鬼の邪気・害虫・毒蛇などの害を防いで殺すものとされていた)をもとめて薬の水を調合し、小瓶に湛えて、あの寝室に向かう。人々が恐れ隠れるのを、法師はあざけり笑って、「老いた者も子供も必ずそこにいらっしゃい。この蛇をただ今捕って見せ奉ろう」と言って、進みゆく。
寝室の戸を開けるのを、今や遅しと待ち構えて、あの蛇が頭をさし出して法師に向かう。この頭はどれほどの物であろうか。この戸口いっぱいに満ちて、雪を積んだのよりも白くキラキラして、眼は鏡のようで角は枯れ木のよう、三尺(1尺は約30cm)余りの口を開き、紅の舌を吐いて、ただ一口に呑もうとする勢いを見せた。
「ぎゃっ」と叫んで、手に持っていた小瓶もそこに打ち捨てて、足も立たず、転げ回り、這い倒れて、やっとのことで逃れて来て、人々に向かい、「ああ、恐ろしい。祟りをなさる神様であらせられるのに、どうして私などに調伏できましょうか。この手足がなければ、きっと命を取られたであろう」と言いながら、気絶してしまった。
人々は助け起こすけれど、顔も肌もすべて赤黒く染めたようで、焚き火に手をかざしたのと同じくらい熱い。毒気に当たったと見えて、後はただ眼だけが動いてもの言いたげであるけれど、声も出せないありさまである。水を注ぐなどするけれど、とうとう死んでしまった。
これを見て、人々はますます生きた心地もせずに泣き惑う。豊雄は少し心を落ち着けて、「このように験のある法師でさえ調伏できず、執念深くつきまとうからには、天地の間に私がいる限りは探し出されてしまうだろう。自分の命ひとつのために、人々を苦しめるのはよくない。もはや人にも相談しません。心安くお思いください」と言って、寝室に行くのを、庄司の人々は「これは気が狂われたのか」と言うけれど、豊雄はいっこうに聞こえない振りをしてそちらに行く。
戸を静かに開けると、化け物の騒がしい音もなくて、富子とまろやの二人が豊雄に向かって坐っていた。
「あなたは何の恨みがあって私を捕らえようとして人をお頼みなされたのですか。このあとも仇をもってお報いになるならば、あなたのお体だけでなく、この郷の人々すべてに苦しい目を見せましょう。ひたすら私があなた一人を一途に思い慕って操を守っているのを、嬉しいとお思いになって、不実な心をお起こしなさいますな」と、たいへん色気を見せて言うのが情けなかった。
豊雄が言うには、「世の諺でもこう言われている。『人は少しも虎を害する心はないけれども、虎は反対に人を傷つける心がある』とか。お前は人ではない心から、私にまとわりついて幾度かひどい目に合わせるだけでなく、私のちょっとした言葉にさえも、このような恐ろしい仕返しのことを言うのは、たいへん恐ろしいことだ。
しかし、私を慕う心は、少しもこの世の人と変わらないので、お前がここにいて、人々がお嘆きになるのはお気の毒だ。お前がいま取り憑いている富子の命だけは助けてくれよ。それから私をどこにでも連れてゆけ」と言うと、たいへん嬉しげに頷いている。
(てつ)
2005.10.6 UP
2019.12.11 更新
参考文献
- 浅野三平校注『雨月物語 癇癖談』新潮日本古典集成22
- 青木正次訳注『雨月物語 下』講談社学術文庫