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雨月物語「蛇性の淫」現代語訳6 正体

『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」現代語訳

 1.出逢い 2.真女子の家 3.太刀 4.捕縛 5.再会 6.正体 7.再婚 8.道成寺

 怪異小説の傑作『雨月物語』から新宮近辺を物語の主な舞台とする「蛇性の淫」を現代語訳。

「蛇性の淫」現代語訳6 正体

 吉野金峰山寺の某の院はかねてから親しい間柄であったので、ここを訪れる。主の僧が迎えて、「今年の春はお詣でになるのが遅かったですね。花も半ば散りすぎて、ウグイスの声もやや乱れているけれど、まだいくらかよい所へご案内しましょう」と言って、夕食に精進料理をととのえて食べさせた。
 明けゆく空はたいへん霞んでいたが、晴れるにしたがって見渡すと、この院は高い所にあって、あちらこちらに僧坊がはっきりと見下ろせる。山の鳥たちもどことなくあちこちでさえずりあって、草木の花はいろいろと咲きまじっている。同じ山里ながら、目が覚める心地がさせられる。

 「初めての参詣には滝のある方が見所は多いことだろうよ」と言って、そこへ道案内の人を頼んで出発する。道は谷をめぐって下りていく。昔、行幸の宮があった所は、滝が激しく流れるのに小さい若鮎たちが水の流れを逆らって泳ぐ様子など、目も覚めるほどにおもしろい。弁当を食べながら楽しんだ。

 岩の道をつたって来る人がいる。髪は長くより合わせた麻糸を束ねたようであるけれど、手足はたいへん健やかな老人である。この滝の下に歩み来る。一行を疑わしそうに見守っていたが、真女子もまろやもこの人に背を向けて見ない振りをしているのを、老人はじっと二人を見つめて、「怪しい。この邪神はどうして人を惑わすのか。わしの目の前でこんなことをしているのか」とつぶやくのを聞いて、この二人はたちまち踊り立って滝に飛び込むと見えたが、水は大空に湧き上がって二人の姿が見えなくなるうちに、雲が墨をこぼしたような色になって、雨が激しく降ってきた。

 老人は人々が慌て惑うのを押さえ静めて、人里に下る。あばら屋の軒下にかがみ込んで、生きた心地もしないのを、老人は豊雄に向かい、「よくよくあなたの顔を見ると、この邪神のために悩まされていらっしゃるが、我が救わなければ最後には命も失ってしまうだろう。今後はよくお慎みなさいませ」と言う。

 豊雄は地に額突いて、事の次第を始めから語りだして、「命をお助けください」と言って、恐れ敬って願う。老人は、「思った通りだ。この邪神は年を経た蛇である。その性質は多淫なもので、『牛とつるんでは麟を生み、馬と合っては龍馬を生む』という。この蛇が惑わしたのも、やはりあなたの顔がよいので淫らな行いを仕掛けたと見える。こうまで執念深いので、よくお慎みにならなければ、おそらくは命を失われるにちがいない」と言うと、人々はますます恐れ惑いながら、老人を崇めて、「遠津神(とおつがみ:俗人から遠くかけ離れたありがたい神様)にちがいない」と拝みあった。
 老人は微笑んで、「おのれは神ではない。大和神社(おおやまとじんじゃ:奈良県天理市新泉にある)に仕える当麻酒人(たぎまのきびと:架空の人物)という老人である。道中を見送って差し上げましょう。さあ、いらっしゃい」と言って出発したので、人々は後をついて帰ってくる。

 翌日、大和の郷に行って、老人の恵みに感謝し、送って来た美濃絹三疋、筑紫綿二屯を老人に捧げ、「これからも妖怪退散のためのお祓いをしてくださいませ」と謹んで願う。
 老人はこれを納めて、神官たちに分け与え、自らは一疋一屯をも手元に残して置かず、豊雄に向かい、「かのものはお前の顔がよいので淫らな行いを仕掛けてお前にまといつく。お前はまた、かのものの仮の姿に惑わされて、男らしい強い意志がない。今から雄々しく、しっかりした気持ちでよく心をお静めになれば、これらの邪神を追い払うのに老人の力をお借りになることもあるまい。よくよく心をお静めくださいませ」と言って、親切に諭した。

 豊雄は夢が覚めた心地で丁寧にお礼をして帰ってくる。金忠に向かって、「この年月、かのものに惑わされたのは、己の心が正しくなかったからです。親や兄に孝行もせず、あなたの家の厄介者になっているのはよくないことです。お恵みはとてもかたじけないけれど、また参りましょう」と言って、紀の国に帰った。

※蛇

 大和神社の神職が真名子とまろやの正体を年を経た蛇だと見破ります。
 神官の「酒人」という名は、八岐大蛇退治の話に、酒を与えて大蛇を鎮めるところがあるので、そこからでしょうか。
 大和神社の祭神は大国御魂神で、『古語拾遺』によれば、大国主神や三輪神などの別名とされ、鳥獣・昆虫の災いを祓う呪法を定めたとされるそうです。

 蛇は淫らな性質の生き物だと考えられました。人が蛇と交わる話は古来からあります。
 『日本書紀』には、三輪山の神、大物主神についてこのような話が記されています。

 ヤマトトビモモソヒメノミコトはオオモノヌシノカミの妻となった。けれども、その神は昼には来ないで、夜にだけやってきた。ヤマトトビモモソヒメは夫に言った。
  「どうか泊まっていってください。朝になったら、あなたの麗しいお姿を見ることができるでしょうから」
 オオモノヌシは「明日の朝、あなたの櫛箱に入っていよう。どうか私の姿に驚かないように」と言った。
 ヒメは不思議に思ったが、朝になって、櫛箱を開けてみると、うるわしい小さな蛇が入っていた。ヒメは驚き叫んだ。
 すると、蛇はたちまち人の姿に変じ、「私に恥をかかせたな」と言って、空を飛び、三輪山に登っていった。
 ヒメは後悔し、箸で陰部を突いて死んだ。その死体は箸墓に葬られた。

 『今昔物語集』には、蛇に犯されて蛇の子を生む女性の話(巻第二十四 第九)や、その他、蛇と人とが交わる話、蛇が人と交わろうと欲する話が数話、採られています。
 人と蛇とが交わる話のだいたいが人間の女性と蛇が交わる話で、この「蛇性の淫」のように蛇が女性に化けて人間の男性と交わる話はほとんどありません。

 

 

(てつ)

2005.10.4 UP
2019.12.11 更新

参考文献