『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」現代語訳
1.出逢い 2.太刀 3.太刀 4.捕縛 5.再会 6.正体 7.再婚 8.道成寺
怪異小説の傑作『雨月物語』から新宮近辺を物語の主な舞台とする「蛇性の淫」を現代語訳してご紹介。
「蛇性の淫」現代語訳1 出逢い
いつの代であったか、紀の国三輪が崎(みわがさき。和歌山県新宮市三輪崎)に大宅(おおや。朝廷直轄領に置かれた官吏を尊敬して呼んだ呼称という。ここでは村長の姓として用いている)の竹助という人がいた。この人は海の幸で栄えて、漁夫たち大勢養い、大きいのや小さいのや様々な魚を穫れる限り穫って、家豊かに暮らした。
男の子が二人、女の子が一人いた。長男は素直でよく働いた。二番目の子である娘は大和の人に妻として求められてそこに行った。三番目の子は豊雄といった。人となり優しくいつも雅びなことばかり好んで、自力で生活を立てていく気持ちがなかった。
父はこれをこれを憂いながら、「財産を分け与えてもすぐに他人に取られてしまうだろう。といって他の家に婿にやるのも結局いやなことを聞かされるのが煩わしい。ただ、したいように成長させて学者になるもよし、僧になるもよし、生きている限りは長男の厄介者としておこう」と思って、強いていましめもしなかった。この豊雄は、新宮の神官・安倍の弓麿(あべのゆみまろ。新宮の神職に安倍姓はなく、秋成の創作であろう)を師として行き通った。
九月下旬。今日は、とくに余波もなく凪いだ海だったのが、にわかに東南から雲が来て、小雨が降りはじめる。師の許で傘を借りて帰るが、阿須賀神社の宝物殿が見える辺りから雨もだんだん強くなったので、そこにある漁夫の家に立ち寄る。主人の老人が這い出てきて、「旦那様のご次男様ですか。こんな祖末は所にお入りになるのは、たいへん恐れ多いこと。これを敷いて差し上げましょう」と言って、円座(わろうだ)の汚いのを埃を払って差し出した。「しばらく休む間くらいは何の不都合があろうか。ばたばたしないでくれ」と言って休んだ。
外の方で麗しい声がして、「この軒下をちょっとお貸しくださいませ」と言いながら入ってくるのを、いぶかって見ると、年は二十歳に足らぬ女で、顔かたち、髪が肩にかかる様がたいそう美しく、遠山ずり(藍色で遠い山の様子を染め出した着物)の色のよい着物を着て、十四、五歳くらいの年若く美しい侍女に包んだ物を持たせて、ぐっしょりと濡れて心細そうにしている。
その女が豊雄を見て顔をさっと赤くする。その恥ずかしげな様子が上品で美しいので、これといった特別の理由もなくしきりに心が動いて、一方では「この辺りにこれほど美しい人が住んでいれば今まで聞かないことはあるまいに、これは都人が三山を詣でたついでに海を見て楽しもうとここで遊んでいるのだろう。しかしながら下男らしい者も連れないのはたいへん軽々しいことだなあ」と思いながら、少し、体を退けて、「ここへお入りなさいませ。雨もやがて止むでしょう」と豊雄は言う。
女が「ちょっとごめんください」と言って、狭い住まいなので、はからずも並んで坐るようにしているのを、近くで見れば見るほど美しく見えて、この世の人とも思われないほどに美しさに、心もぼうっとしてしまって、女に向かい、
「都の辺りの身分の高いお方とお見受けしますが、三山詣をなさるのですか、峯の温泉(湯の峰温泉)に出立なさるのですか、これほど殺風景な荒磯を何の見所があって一日中見物なさっているのですか。こここそ、いにしえの人が、
くるしくもふりくる雨か三輪が崎 佐野のわたりに家もあらなくに
(ちょうど折り悪くも降り出した雨だなあ。この三輪が崎の佐野の辺りには雨宿りする家もないのに。『万葉集』巻三の長忌寸奥麻呂の歌)
と詠んだ場所で、ほんとうに今日のようなしみじみとした風情ですね。この家はむさ苦しいながら、私の親が面倒をみている男です。心安く雨宿りなさい。さて、どこを旅の御宿所となさっているのですか。お見送りするのもかえって無礼なので、この傘を持って出てお行きなさい」と言う。
女が「たいへん嬉しいお心持ちを仰せられました。その暖かいお心持ちに甘えて、私の濡れた着物を干して参りましょう。私は都の者ではなく、この近所に長年の間、住んできましたが、今日こそよい日だと思って那智に詣でましたところを、突然の雨の恐ろしさに、あなたが雨宿りなさっているとも知らないで、わきまえもなく立ち寄りました。私の家はここから遠くはないので、この止み間に出て行きましょう」と言うのを、
無理に「この傘を持ってお行きなさい。傘は何かのついでに頂戴しましょう。雨は一向に止んでおりませんものを。さて、お住まいはどちらですか。当方から頂戴の使いを出しましょう」と言うと、「新宮の辺りで、『県の真女子(あがたのまなご。県が姓で、真女子が名)の家は』とお尋ねください。日も暮れましょう。ご好意の傘をさし戴いて帰りましょう」と言って、傘を取って出て行くのを豊雄は見送りながらも主人の蓑笠を借りて家に帰ったけれど、まだ面影が忘れられなかった。
少しの間まどろんだ暁の夢で、あの真女子の家に尋ねていって見ると、門も家もたいへん大きく作ってあり、蔀(しとみ。雨戸の一種)を下ろし、すだれを深く垂らして、奥ゆかしく暮らしていた。真女子が出迎えて、「御情け忘れがたく待ち恋い申し上げていました。こちらへお入りください」と言って、奥の方に案内し、酒や菓子など様々にもてなしながら、嬉しい酔い心地に、ついに枕を共にして寝物語する、思うと、夜が明けて夢から覚めた。本当であったならばと思う心にせかされて、朝食も忘れて浮かれて出て行った。
朝夢は正夢
豊雄は朝食もとらずに家を出ました。これは夢が現実になることを期待してのことです。俗に「朝夢は正夢」といいました。
真女子という名
女の「真女子」という名は、道成寺伝説の清姫が紀伊国牟婁郡砂子(まなご。真女児とも)の庄屋の娘であることから付けられたようです。和歌山県田辺市中辺路(なかへち)町真砂には清姫の墓と伝えられる石塔が残されています。
また、「まなご」には、「愛子(まなご:かわいい子、最愛の子)」の意味も込められているのでしょう。
(てつ)
2005.9.24 UP
2010.7.23 更新
2019.12.10 更新
参考文献
- 浅野三平校注『雨月物語 癇癖談』新潮日本古典集成22
- 青木正次訳注『雨月物語 下』講談社学術文庫