『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」現代語訳
1.出逢い 2.真女子の家 3.太刀 4.捕縛 5.再会 6.正体 7.再婚 8.道成寺
怪異小説の傑作『雨月物語』から新宮近辺を物語の主な舞台とする「蛇性の淫」を現代語訳してご紹介。
「蛇性の淫」現代語訳4 捕縛
太郎は夜が明けるのを待って、大宮司の館に来て、これこれの次第でありますと申し出て、この太刀を見せ奉ると、大宮司は驚いて、「これはまさに大臣さまの献物である」と言うと、次官の文室広之がお聞きになって、他の失せた物についても問いただそう。召し捕れ」と言って、武士たち十人ばかりが、太郎を前に立ててゆく。
豊雄がこのようなことも知らずに書物を見ているところを、武士たちが押さえつけて捕らえる。「これは何の罪か」と言うのも聞き入れず捕縛した。父母、太郎夫婦も、今は「情けない」と嘆きとまどうばかりである。
「役所からのお呼びである。速く歩け」と言って、武士たちの中に取り囲んで館に追い立てて行った。
次官は豊雄をにらんで、「汝。神宝を盗み取ったのは前例のない罪である。他の種々の宝はどこへ隠しているのか。はっきりと申せ」と言う。
豊雄はやっとわけがわかり、涙を流して、「私はまったく盗みをしていません。
これこれの事情で、県の某の妻が、前の夫の帯びていた太刀であると私にくれた物です。今すぐあの女のをお呼びになって、私の無罪であることを納得してくださいませ」。
次官はますます怒って、「我が下司に県の姓を名乗る者があったことはない。このように偽るのは罪がますます大きくなることだ」。
豊雄は。「このように捕われていつまで偽ることができましょう。どうかあの女をお呼びになってお尋ねくださいませ」。
次官は武士たちに向かって、「県の真女子の家はどこにあるのか。
真女子を押さえ込んで捕らえてこい」と言う。
武士たちは畏まって、また豊雄をひったてて、そこに行って見ると、いかめしく造った門の柱も朽ちて腐り、軒の瓦も大方は砕け落ちて、のきしのぶ(シダ類ウラボシ科の常緑多年草。しばしば屋根の軒端に生える)が生え下がり、人が住んでいるとは見えない。
豊雄はこれを見てただ呆れているばかりであった。
武士たちは駆け巡って、近所の人々をお呼び集めになる。木こりの老人、米をつく男たちは、恐れ惑ってうずくまる。
武士は彼らに向かって、「この家に何者が住んでいたのか。県の某の妻がここにいるというのは本当か」と言うと、鍛冶屋の老人が這い出てきて、
「そのような人の名は全然聞いておりません。この家は三年ばかり前までは、村主(すぐり)の某という人が裕福に住んでおりましたが、九州に商品を積んで下ったその船が行方不明になって後は、家に残る人も散り散りになって、それよりずっと人が住むことがなかったのを、この男が昨日ここに入って、しばらくして帰ったのを『怪しい』と、この塗師の老人が申しておりました」と言うので、「ともかくも、よく見届けたうえで殿に申し上げよう」と言って。門を押し開いて入る。
家は外よりの中のほうが荒れまさっていた。なお奥のほうに進みゆく。庭園は広く造ってある。池は水が浅くなって水草もみな枯れ、野生の薮が生い茂って傾いているなかに、大きな松が吹き倒れているのは凄まじい。
客座敷の格子戸を開くと、生臭い風がさっと吹いてきたのに恐れ惑って、人々は後に退く。豊雄は声もあげずにただ嘆いていた。
武士のなかに巨勢熊がし(こせのくまがし。「がし」は木へんに嘉。架空の人物)という者が、肝の太い男で「みなは我が後について来い」と言って、板敷きを荒々しく踏んで進みゆく。塵は一寸ほど積もっている。鼠が糞をひり散らしたなかに、古い几帳を立てて、花のような女がひとり座っている。熊がしが女に向かって、「国守がお呼びだぞ。急いで参上せよ」と言うけれど、答えもせずにいたのを、近づいて捕らえようとすると、たいまち地も裂けるばかりの激しい雷が鳴り響いたが、大勢の人は逃げる間もなくてその場に倒れる。それから見やると、女はどこへ行ったのだろうか、姿が見えなくなっていた。
この床の上にキラキラした物がある。人々は恐る恐る行って見ると、高麗の錦、呉の綾織物、倭文織(しずおり。古代の布地)、固織(かたおり。細かく固く織った絹布)、楯、鉾、靭(ゆき。矢を入れて背負う道具)、鍬(くわのような農機具も当時は貴重品であった)の類い。これらは紛失した神宝であった。
武士たちはこれらを取り持たせて、怪しかった事ごとを詳らかに訴える。次官も大宮司も妖怪のなしたことだと知って、豊雄を追求するのを加減した。しかしながら、さしあたって当面する罪(盗品を持っていた罪)は免れず、
国守の館に身柄を渡されて牢獄のなかに繋がる。大宅父子が多くの贈り物をして罪をあがなったので、百日間ほどで許されることを得た。
豊雄は、「こんなことがあって、世に立ち交わるのも恥ずかしい。姉が大和にいらっしゃるのを訪ねて、しばらくそこに住みます」と言う。
親たちは、「本当にこのような辛い目を見た後は重い病いにもかかったりするものだ。行って数ヶ月を過ごせ」と言って、人を添えて出発させた。
(てつ)
2005.10.1 UP
2019.12.10 更新
参考文献
- 浅野三平校注『雨月物語 癇癖談』新潮日本古典集成22
- 青木正次訳注『雨月物語 下』講談社学術文庫