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雨月物語「蛇性の淫」現代語訳5 再会

『雨月物語』巻之四「蛇性の淫」現代語訳

 1.出逢い 2.真女子の家 3.太刀 4.捕縛 5.再会 6.正体 7.再婚 8.道成寺

 怪異小説の傑作『雨月物語』から新宮近辺を物語の主な舞台とする「蛇性の淫」を現代語訳してご紹介。

「蛇性の淫」現代語訳5 再会

 二番目の子である姉の家は石榴市(つばいち:奈良県桜井市三輪町にあった)という所の田辺金忠(たねべのかねただ)という商人であった。豊雄が訪ねて来るのを喜び、一方では先だっての事ごとを気の毒がって、「いつまでも長くここに住め」と言って、親切にいたわった。
 年が変わって、二月になった。 この石榴市というのは、長谷寺が近い所であった。数ある仏様のなかでも長谷が霊験あらたかなのは中国まで伝わっているといって、都から田舎から詣でる人が春にはとくに多かった。詣でる人は必ずこの石榴市に宿泊するので、宿屋が軒を並べて旅人をとどめた。

 田辺の家は灯明や燈心の類いを商っていたので、いっぱいに人が立ち入ったなかに、都の人の忍びの参詣と見えて、たいへんきれいな女がひとりと年若い侍女ひとりが薫物(たきもの:種々の香を合わせて作った練香)を求めてここに立ち寄る。
 この年若い侍女が豊雄を見て、「私のご主人様がここにいらっしゃるわ」と言うので、驚いて見ると、あの真女子と侍女のまろやである。「ああ、恐ろしい」と言って内に隠れる。

  金忠夫婦は「これは何か」と言うと、「あの鬼がここに追って来た。あれにお近づきにならないでください」と隠れ惑うのを、人々は「それはどこに」と立ち騒ぐ。
 真女子が入って来て、「みなさん、あやしみなさいますな。 我が夫よ、恐れなさいますな。私のいたらなさから罪に落とし申し上げたことの悲しさに、いらっしゃる所を探して、事の理由も語り、ご安心させましょうと思って、お住まいを尋ねてまいりましたが、その甲斐あってお会いできましたことの嬉しさよ。
 この家のご主人様、よく聞き分けてくださいませ。私がもし妖怪であるならば、この人の激しい往来がある上に、このようなのどかな昼間にどうして姿を現しましょうか。着物には縫い目があり、太陽に向かえば影がある。この正しい道理を納得してくださって、お疑いをお解きくださいませ」と言う。

 豊雄は少し人心地がついて、「お前は本当に人ではないわ。私は捕われて武士たちとともに行って見ると、昨日とは違ってひどく荒れ果てて、本当に鬼が住むべきような家に一人いたお前を、人々が捕らえようとすると、快晴の空に突然、激しい雷を落として、お前が跡形なくかき消えたのを目の当たりに見たのに、また追って来て何をしようというのか。すみやかに去れ」と言う。

 真女子は涙を流して、「本当にそうお思いになるのはごもっともですが、私の言うことも少しの間、お聞きくださいませ。あなたが公庁にお召されになると聞いてから、常日頃、目をかけていた隣の老人たちを味方に付け、急に荒れ果てた家のようにこしらえました。私を捕らえようとしたときに、雷を響かせたのは、まろやが計略にかけたのです。
 その後、船を求めて難波のほうに逃れたけれど、御消息を知りたいと存じまして、 ここ長谷の御仏に願をかけたところ、二本の杉のように(『古今集』巻十九「はつせ川ふる川のべにふたもとある杉としを経てまたもあひみむ二本ある杉」より)効果があって、嬉しくも再会の時にめぐりあえたことは、本当に大悲の長谷観音の御徳を受けたものでございます。
 種々の神宝はどうして女が盗み出せましょうか。前の夫がよからぬ心で行ったことでしょう。よくよくご理解くださいまして、私が貴方を思い慕っている気持ちを、露ほど少しだけでもお受けくださいませ」と言って、さめざめと泣く。

 豊雄は一方では疑い、一方では憐れんで、言い返す言葉もない。金忠夫婦は、真女子の事情がわかって、この女らしい振る舞いを見て、少しも疑う心なく、「豊雄が語るのを聞いていると、世にも恐ろしいことだなと思ったが、そのような例がありうるような世でもないことだ。はるばると迷いこちらをお訪ねになった御心のいじらしさに、豊雄が承知しなくとも、我々がおとどめ申し上げましょう」と言って、一室に迎え入れた。
 ここで一日二日を過ごすうちに、金忠夫婦が気に入るようにして、ひたすら嘆き、金忠夫婦を頼りとした。その志の篤さを愛でて、豊雄を勧めてついに婚儀を取り結んだ。豊雄も次第にうち解けて、もとより容姿のよいのを愛で喜び、行く末までも変わるまいと誓い合って、契り、ただ再会の時の遅さを恨んだ。

 三月にもなった。金忠は豊雄夫婦に向かって、「都の辺りとは似ようもないが、と言っても、紀州路よりはすぐれておりましょう。吉野は、春がとてもよい所です。三船の山、菜採川(ともに吉野の歌枕)は、いつも見ていても飽きないですが、今の時節はどんなにかおもしろいことでしょう。さあ、お支度をして出かけましょう」と言う。
 真女子は微笑んで、「吉野は、都の人も見ないのを残念だと申しておりますが、 我が身は幼い頃から人が多い所、あるいは長い道のりを歩くと、必ずのぼせてしまう持病があるので、お供できないのはたいへん残念です。山のお土産を心待ちにお待ち申しております」と言うのを、 「それは歩いていくなら持病が起こり苦しいことでしょうよ。車は持っていないが、なんとしても土はお踏ませ申し上げません。お残りになっては、豊雄がどれほどにか心もとないことでしょう」と言って、夫婦がしきりに勧めるので、豊雄も「このように頼もしくおっしゃっているのに、道中で倒れるとも行かねばいけない」と言ったので、いやいや出かけた。一行は華やかに着飾って出発したが、真女子の綺麗なのには比べるものにもならない見えた。

※人に化けた妖怪の見分け方

 妖怪はどんなにうまく化けても、着物には縫い目がなく、太陽に当たれば影ができないという俗信がありました。

※熊野と吉野

 熊野とは大峰山系で結ばれる吉野。大峰山系は修験道の根本道場とされ、山々そのものが曼荼羅世界であると考えられました。曼荼羅とは仏の悟りの境地を具象化したものであり、修験道では山中の自然の存在ことごとくを大日如来の説法として受けとめるのです。
 曼荼羅には金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅の両部曼荼羅があり、大峰山脈も熊野側を金剛界曼荼羅、吉野側を胎蔵曼荼羅として見ていました。
 金剛界曼荼羅は宇宙の精神的世界を表現し、完成された智恵を象徴しているようです。胎蔵曼荼羅は宇宙の物質的世界を表現し、絶対の理法を象徴するようです。金剛界は男性原理に、胎蔵は女性原理も例えられます。

 

 

(てつ)

2005.10.4 UP
2019.12.11 更新

参考文献