| ■ 熊野の観光名所 | ||||
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| ◆ あげいん熊野詣(あげいんくまのもうで) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 | ||||
| いにしえの熊野詣を再現 写真はketunoriさん  「あげいん熊野詣」は、那智山で毎年行われるイベント。時代衣装をまとって行列をなし、熊野古道「大門坂」を歩き、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、那智の滝を詣でて、いにしえの熊野詣を再現します。 熊野詣は浄土入り
  平安時代後期以降の浄土信仰の広がりのもと、本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、 那智の牟須美神は千手観音を本地(本体)とするとされ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。  熊野は辺境の山岳地帯にあるので道案内が必要とされ、その道案内を修験者(山伏)がつとめました。この道案内人を先達(せんだつ)と呼びましたが、先達は道案内だけでなく、道中の作法の指導も行いました。 女性の装束の意味
 行列のなかでいちばん華やかなのが壺装束(つぼしょうぞく:ヘルプ 平安時代から鎌倉時代にかけての公家や武家の女子の外出姿)の女性。  彼女達は壺装束に、市女笠をかぶり、笠の縁に垂れ絹をたらして顔を隠しています。  女性の参詣者がかぶった市女笠は、伊勢では葬送の際に女性がかぶったもので、死門への旅とされた熊野詣にふさわしい葬送の作法に則った装束でした。 女性の熊野詣 熊野を詣でる女性参詣者は自らを「いた」と名のりました。  熊野は山岳宗教の中心地のひとつでありながら、女性の参詣を禁じませんでした。禁じないどころか積極的に受け入れていました。熊野を詣でる女性はすべてみな等しく「いた」、熊野権現の巫女でした。  女性参詣者を「いた」と名のらせる。女性参詣者を熊野権現の巫女と名のらせる。そこには、女性の参詣を広く受け入れた熊野の自負のようなものが感じられます。 西行の歌。 
 (『山家集』下 雑(百首) 1529) 
 あげいん熊野詣 毎年10月の第4日に那智山で開催される「あげいん熊野詣」。  また見学するだけでなく行列に参加することもできます。参加者の募集は毎年9月頃に行っています。参加申込及びお問い合わせは、那智勝浦町観光協会まで。定員になり次第締め切りになります。 
 ◆ 参考文献 
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 (てつ) 2010.10.27 UP 
 
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