■ 熊野古道 熊野九十九王子 |
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◆ 市野々王子(いちののおうじ) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々993 市野々村:紀伊続風土記(現代語訳) |
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八咫烏の子孫が住む里にある王子跡 熊野那智大社・那智山青岸渡寺への参詣道にある王子社。 平安時代末の貴族、藤原宗忠(むねただ)の日記『中右記(ちゅうゆうき)』には、天仁二年(1109)条に熊野参詣の様子が記されていて、その十月二十七日条には「小川を数度渡り、一野王子社に参り、奉幣する」とあります(原文は漢文)。 現在の社名は王子神社。 近世には那智山の末社となり、若女一王子社あるいは市野々王子と呼ばれました。明治六年に那智山の支配から離れて、村社となり王子神社と改称。近隣にあった金刀比羅神社を合祀し、現在に至るということです。 入口の軒下には八咫烏の彫刻がありました。 市野々は八咫烏の子孫が住むといわれています。市野々王子の近くにある市野々小学校の校章もまた八咫烏です。 本殿 境内社 市野々王子はもとからここにあったという説と、100mほどの上手の文明の岡と呼ばれる所に旧社地があり、江戸時代にここに移されたのだという説があります。 100mほどの上手の文明の岡には基礎石が残され、天照大神影向石(ようごういし。神様が一時姿を現す石)があります。 市野々という地名は、この地に市が立ったことにより付けられたそうです。 ◆ 参考文献
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(てつ) 2005.11.2 UP
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