■ 熊野の観光名所 |
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第三殿の正面に船着き場と船着き場に下りる階段 和歌山県田辺市本宮町本宮 本宮:紀伊続風土記(現代語訳) 本宮村:紀伊続風土記(現代語訳) |
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熊野本宮大社旧社地「大斎原」の石積護岸 熊野本宮大社がもともとあった場所。大斎原(おおゆのはら)。 明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。 平成21年(2009年)2月9日から護岸部の調査が行われ、その現地説明会が2月21日に行なわれたので、見に行ってきました。 音無川と熊野川の合流点から熊野川上流に向かって7地点を試掘。下流の方から第1トレンチ。いちばん上流が第7トレンチ。 最初の説明は、階段が検出された第6トレンチで行なわれました。 第6トレンチ この階段を登った直線線上に、かつて熊野本宮の本殿の第三殿がありました。 第6トレンチ 第6トレンチ 石段や石積みの表面が黒く焦げている部分があり、明和7年(1770年)の本宮大火のあとだと考えられます。 石積みの割石は、対岸に大黒島という石切り場があるので、そこから船で運ばれて来たものと考えられます。 コンクリート製の護岸が横に取りついていますが、それは昭和28年(1953年)の大水害以降に造られたもの。
第7トレンチ 第5トレンチ 第4トレンチ 第3トレンチは写真を撮り忘れました。全部撮ったつもりでいたのですが。f(^-^; ポリポリ 第2トレンチ 第1トレンチ 第1トレンチの石材の基底部には、杉か桧製の胴木が横に敷き込まれていて、約20cm間隔で木杭が斜めにかまされています。
何百年も前のものが土砂のなかに埋もれていたのですね。いいものを見させていただきました。 これらのトレンチはすでに埋め戻されましたので、現在、見ることはできません。 (てつ) 2009.3.30 UP ◆ 参考文献
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