熊野の魅力についてのメモ書き
- 熊野が日本の宗教の中心地であったという歴史。
後白河上皇は34度、後鳥羽上皇は28度、熊野を詣でました。『平家物語』には島流しにあった人が自分で熊野神社を建てて祈る場面がありますが、全国に5000社ほどの熊野神社があるのは、熊野が日本人の精神の拠り所であったということです。
熊野御幸:熊野を知るためのキーワード
平家物語3 成経・康頼・俊寛の配流:熊野の説話
全国熊野神社参詣記
- 熊野信仰の基層に自然崇拝があること。
熊野では現在でも滝や岩や川や島を祀っています。社殿のない神社もあります。自然崇拝の名残が今でも熊野では見られます。
熊野の磐座:熊野の観光名所
熊野の社殿のない神社:熊野の観光名所
- 神仏習合の名残が今も残されていること。
熊野信仰を盛り上げたのは修験道や時衆という仏教の一派。神と仏が敵対せずに融和する。これは考えてみたらすごいことで、外国の話で言ったらキリスト教の教会とイスラム教の礼拝堂がいっしょにあるというようなこと。神と仏が一緒にあったのだということを伝えることは、宗教間の対立が地球的な危機を生んでいる現在、価値のあること。
神仏習合の名残:熊野の観光名所:
- 熊野信仰のもともとの担い手が狩猟民であったこと。
『長寛勘文』に記載された「熊野権現垂迹縁起」(現存する文献の上では熊野縁起最古のもの)で、熊野権現の最初の発見者は猟師とされます。それは熊野信仰のもともとの担い手が狩猟民であったということです。
狩猟民の文化では動物に敬意を払います。動物を狩るときには心になんらやましさを覚えることのない武器をもって戦わなければならない。必要以上に殺さない。殺した動物の体に敬意を払う。太地の捕鯨、勝浦のマグロを1本1本釣り上げる延縄(はえなわ)漁法。
熊野権現垂迹縁起: 熊野の説話
勝浦港の生マグロ: 熊野の名産品
太地のクジラ:熊野の名産品
- 女性の参詣を積極的に受け入れたこと。
熊野は山岳宗教の中心地のひとつでありながら、女性の参詣を禁じませんでした。禁じないどころか積極的に受け入れていました。熊野ほどに女性の参詣を歓迎した社寺は他にありません。
むしたれいた:熊野を知るためのキーワード
男女猥雑の瑞垣:熊野を知るためのキーワード
伏拝王子、和泉式部:熊野の説話
- 社会的弱者を積極的に受け入れたこと。
ハンセン病患者や盲人など当時は前世の悪業の結果そうなったのだとされて差別を受けていた社会の最下層に生きる人々をも熊野は受け入れました。
小栗判官:熊野の説話
熊野にて開眼した盲人の話:熊野の説話
- 熊野が関わる古典文学や芸能がたくさんあること。
熊野は日本人の精神の拠り所であったため熊野が登場する古典文学は多数あります。熊野修験が成立に関わった伝統芸能が各地にあります。
熊野の説話
熊野の歌
神事と芸能
- 南方熊楠が暮らしていたこと
南方熊楠が熊野で行ったこと、残してくれた文章は、日本の未来を描くためのモデルになります。
南方熊楠のキャラメル箱
(てつ)
2010.10.20 UP
2010.10.21 更新
2019.8.5 更新