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藤原定家『熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)』(現代語訳1)

藤原定家の後鳥羽院熊野御幸随行日記(現代語訳1)

 後鳥羽院の建仁元年(1201年)の熊野御幸に随行した歌人、藤原定家(ふじわらのさだいえ、1162年~1241年)が書き残した日記『熊野道之間愚記(後鳥羽院熊野御幸記)』を現代語訳してご紹介します。5ページに分けて口語訳します。このページは10月5日から8日までの分。

  1. 藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳1 京~藤白
  2. 藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳2 藤白~田辺
  3. 藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳3 田辺~本宮
  4. 藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳4 本宮〜新宮〜那智〜本宮
  5. 藤原定家『後鳥羽院熊野御幸記』現代語訳5 本宮~京

 この1ページめがいちばん訳せませんでした。漢文は不得手なので、間違っている箇所が多々あると思います。お気づきの点などございましたら、ぜひご指摘ください。

熊野道之間愚記 略之 建仁元年十月

五日 天気晴れ

明け方の鐘以後に営みに参る。
左中弁(※藤原長房)が昨晩に示し送って言うには、
「折烏帽子で参りなさい。ただし三津の辺りでは、立烏帽子を用いなければならない。また〔八幡御幸〕高良(※こうら:男山山麓にある、石清水八幡宮の摂社、高良神社)御幣使のことを承知しておきなさい。あわせてまた〔御布施の事〕日前使も同じように勤めなければならない。所々の御布施取りのことを承知しておきなさい」

よって折烏帽子〔日頃、俊光はこれを折っている。みな、このようだ〕に、浄衣〔短袴、あこめ、生小袴、下袴、脛巾は白を用いる。初度はこのようだとのこと。シトニタビヲ付す〕を身につけて、縁の辺りの座に昇る。左中弁も同じくこのよう装束である。

例の如くしばらくの間、例の如く御拝。終わって門の中庭に出御〔御床几(※折りたたみのできる腰掛け)に御尻をお懸けになる〕。
安倍晴光が御禊を奉仕する〔門の中央に向かって奉仕する〕。
公卿以下が列居する。

御供でない人々(役人や賦役の者の格好)は布衣(※ほい:布の狩衣)、藁履きを身につけて、門外でお仕えしている。

御禊が終わって役人らは御精進屋を片づけて入られる。この間待たさせて御取り始め、いまだ終わらない間に出御。
殿上人が松明を取って前を行く。〔左右〕。道者でない者は前陣にいて南門を出る。
御船を御する間に自分用の船に乗って下る。
先達は早速に立った。明け方に衣帽を改める〔衣帽を改めて高良の御奉幣使に参るのだ〕。
船は甚だ遅い。営を構えて大渡に参着する。御船を出御する間である。
騎馬で先陣する。公卿らは多く輿に乗って先陣した。

宿院に入御して、御禊があった。
給仕の役人は日吉のようだ。事が終わって御座(御床几である)をお立ちになる間に、予は進んで高良の御幣に仕え、参上して御幣を取って神職〔束帯(※朝廷に出仕する際に着た公服)の男であった〕に授ける。祝う間に、すぐに坂を登って薬師堂の方から参り控える。

馬場よりお昇りになり(御歩行)、御奉幣〔内府(※内大臣。源通親)が御幣を取って進められる〕御拝。祝い終わって御神楽(御拝)の間、御馬を廻して、御随身(※ずいじん:おとも)がこれを引く。次いで御簾の中に入御。

黄衣の男は桂榊を取り、黒衣の僧は幡を華幔を懸ける。
御経供養〔公胤〕。終わって、仲経、俊宗、予、隆清、有雅が布施を取る(請僧三口)。終わってすぐに退き下がる。

騎馬で木津殿の方に出る。人々は昼養する。屋形御所を打つ儀式などは例の如く厳重である。
予は最前に乗船して下る。衣装を解いて一寝する(水干の浄衣を着る)。
申(※今の午後4時頃。また、午後3時から5時までの間。または、午後4時から6時の間)の初めころにクホ津に着く〔先達が次第に融るべき由を先約する。相具わざるによる〕。王子(※窪津王子)を拝する。人々前後に会合する。

だいぶ経ってから御船がお着きになる。御奉幣(長房がこれを取ってお授けになる。先達これを進める)、御拝は2度。先達がこれを申して退出する。
次に御経供養。里神楽。終わって上も下も乱舞する。宿老の人々は終わる前に退出する。

すぐに騎馬して馳せ奔り、先陣して坂口王子に参る。また前の儀式のよう。
また先陣してコウト王子に参る。前儀の如し。
また先陣して天王寺に参って、西門の鳥居の辺りを徘徊する〔公卿以下〕。

しばらくして入御〔御船の後に毎度お指しになる、予らはまたまた騎馬して先陣する〕。
金堂に御して舎利を礼する。公卿以下が神前に進み出てこれを礼する。次々に形の如く礼した。殿上人は後戸の方に廻り御経供養の布施を取る。導師の外に十禅師とのこと〔2包みばかり取りそろえ、これを取って持っていく。修二月(※しゅにえ:旧暦2月に行なわれる仏への供養)のようだ〕。
すぐにお下りになる。御所にお入りになった後、退出して宿所に入る。コリをかき礼して、食事する。

疲労のため今夜は御所に参らない。また人疎にて所役なしとのこと。それでもやはり、この供養は世々(※よよ:過去・現在・未来のそれぞれの世)の善縁(※仏道の縁となる、よい事柄)である。奉公のさなか、宿命がそうさせたのだ、感涙が禁じ難い。

御供の人、
内府(※源通親)
春宮権太夫〔宗頼は私的なお供であり、正式な御幸のお供ではない〕(※藤原宗頼)
右衛門督(※坊門信清)
宰相中将〔公経〕(※西園寺公経)
三位仲経(※藤原仲経)
大弐〔範光〕(※藤原範光)
三位中将〔通光〕(※久我通光。こが みちてる。源通親の3男)
殿上人、
保家(※藤原保家)

隆清(※藤原保家)
定通(※土御門定通。つちみかど さだみち。源通親の4男)
忠経(※藤原忠経)
有雅(※源有雅)
通方(※中院通方。なかのいん みちかた。源通親の5男)
上北面はだいたい全員である。
下北面はまた精撰した者がこの中にいる。
(※院御所の北面を詰所とし、上皇の側にあって身辺の警護あるいは御幸に供奉した廷臣・衛府の官人らを北面という。上北面は殿上人。下北面は武士)

面目は身に過ぎて恐れ多い。人はきっと毛を吹く(※あらさがしする)心があるのだろうなあ。

〔夜に入って、左中弁が題を送る。明日住江で披講すべし〕
夜に入って、左中弁が題三首をお書きになる。明日住江殿において披講(※ひこう:和歌会などで作品を読み上げること、またその人と)せよとのこと。疲労している間は沈思することができない。

今夜の宿は、讃良(さらら)庄が勤仕した。

六日 天気晴れ

夜明けころに出馬して、阿倍野王子を指して参る〔先達を伴って奉幣の儀式を致す〕。
次に住吉社に参詣。
先達が同じく奉幣。
初めて当社を奉拝して感悦の思い極りなし。
(住吉に奉幣の事)夜更けになって小宅に入って休息する。夜が明けてまた社頭に参る。
辰(※午前8時頃。また、今の午前7時から9時の間。または午前8時から10時まで)の終わりに御幸、御奉幣(内府が取り継がれる。毎度このようだ)。〔例の袍衣冠の男が御幣を給わり、生絹(※きぎぬ。生糸で織った絹織物)を袍衣冠の男に伝え祝を申ささせる。両人とも禄を給うこの間に神馬を引く)、里神楽、相撲三番がある。勝負が終わって御所〔住吉殿〕に入御。すぐに和歌を披講する。
(講師を勤める)
予はお召しにより講師を勤仕する。内府は序代(※序文)を書かせられ、詠吟が終わって退き下がって小食。

帰参して出御以前に馳せ奔る。今日は御馬である。
次に境王子に参る。次第はまた例の如し。
次に境において御禊があった〔田の中である。南向き〕。

ここより先陣して昼の御養の御所に参る。
ただしここは予がすべきことはなく、よって右中弁(※左中弁の間違いか)に知らせて先陣した。次は大鳥居新王子とのこと。
次第は前の如し。
次に篠田王子、また前の如し(先に松下で御楔ある。宗行は御使のためシノタ明神に参るとのこと)。
次に平松王子、この王子においてとくに乱舞のことがあった。

これより院は御馬を乗るのをやめて、歩いて平松新造御所に入御する。
各々宿所に入る(国の皆ことごとくが仮屋を設けて宛てがう。予らの分、ここは三間小屋である。板敷なし)。

今日の詠歌
  初冬侍
    太上皇幸住吉社、 同詠三首應 製和歌
              正四位下行 ・・・・・・・
後に御歌を清書しなさる 

  寄社祝
あひおいのひさしきいろもときはにて
 きみが世まもるすみよしの松

(訳)相生の松の年月を経た様子は永遠を思わせる。永遠に君の世を守ってください。住吉の松よ。

  初冬霜
ふゆやきたるゆめはむすばぬさ衣に
 かさねてうすき志ろたへの袖

(訳)冬が来た。
          霜心己以髪髴、にわかに詠んだので力が及ばない

  暮松風
あはぢしまかざせるなみのゆふまぐれ
 こゑふきをくるきしのまつかぜ

(訳)夕暮れの淡路島を飾っている波。岸の松風が音を吹き送っている。

御製、祝に書いていう、

かくてなほかはらずまもれ世をへて
 このみちてらすすみよしの神

(訳)このようにやはり変わらず守れ。いくつもの代を経て、この道(和歌の道)を照らす住吉の神。

感歎の思いが禁じ難い。定めし神威があるだろう。〔與ハ歟ナラン〕
今この時にあってこの社を拝すのは、一身の幸いである。

今日の宿の雑事は、大泉庄〔九條殿〕宇多庄〔有実朝朝臣八條院姫宮〕が承諾申しているが、共に見に来ない。いかにも不便である。三間の萱葺屋は、風が冷たく月が明るい。

七日 天気晴れ

明け方、松明を取って出発。井口王子(※井ノ口王子)に参る(この王子は新王子だとのこと。先達とともに行く)。ここで御幸を待つ。
忠信少将は輿に乗って来て会して奉幣する。語って言うことには、昨日足を痛めたとのこと。

しばらくして御幸に臨む。儀式の順序は例の如し。
終わり競い出て騎馬して、池田王子に参り、ここで琵琶を弾かれる法師に物をお与えになる〔小袖「襖」か〕。

これより先陣して浅宇河王子(※麻生河王子〔あそかわおうじ〕)に参り、御幸を待たずにまた先陣して鞍持王子に参る。また昼食所〔コ木のニ王堂とのこと。吉祥音寺とのこと〕に馳せ入る。食事が終わって胡木新王子(※近木王子〔こぎおうじ〕)に参る。
これより(歩行で)御所を指し過ぎる。昼御宿は此野鶴子とのこと。サ野王子に参る。次に籾井王子に参って、御幸を相待つ。
やや久しくして御幸に臨んだ。

御奉幣、里神楽が終わって乱舞。拍手は相府(※しょうふ。大臣のこと)にまで及ぶ。次にまた白拍子が加わる。五房・友重をもって二人舞。次に相撲三番。
終わって競い出て騎馬にてまず厩戸王子に参り、すぐに宿所に馳せ入る。

この御宿は惣名は信達宿である。ここは厩戸御所とのこと。例の如く萱葺きの三間屋(※正面の柱間が三つある建物?)がある。国から宛てがった御所は極めて近く、かえって恐れを懐く。

戌の時(※今の午後8時頃。また、午後7時から9時まで、または午後8時から10時まで)のころにお召しがあって参上し、御前に召し入れられ、2首を被講する。
急にお言葉があって直題を書かせられる。次第雪爲先。
例の如く読み上げた。御製はまたもって殊勝である。

夜に入って2首当座

 愚歌

  暁初雪

いろいろのこのはのうへにちりそめて
 ゆきはうづますしのゝめのみち

(訳)色々の木の葉の上に散り始めて、雪が夜明け方の道を埋める。

  山路月

袖の霜にかげうちはらふ深山路も
 まだ末とほき夕づきよかな〔希有々々〕

(訳)袖に霜のような月の光が差し、それを打ち払って歩く夕月夜の深山の道。まだ宿所は遠いなあ。

読み上げて、人々が詠吟してすぐに退出する。
内府・宰相中将・大弐・三位中将・下官(定家)・長房・定通・通方・信綱・家長・清範らである。

八日 天気晴れ

明け方に出発して、信達一之瀬王子に参る。
また坂中で祓する。次に地藏堂王子に参る。次にウハ目王子(※馬目王子)に参り、次に中山王子に参り、次に山口王子に参り、次に川辺王子に参り、次に中村王子に参り、次に昼養の仮屋に入る〔ハンザキ〕。
従者らの手配がなく、その仮屋は甚だ荒れている。ここで時ならぬ水コリがある。

御幸を相待つが甚だ遅い。忠信少将が参り会って、しばらくして先にこの王子〔ハンサキ(※吐前王子)〕に参る。しばらく相待つ間に御幸が終わる。
先に出て御祓所〔ワザ井ノクチ〕を設ける。

(日前宮奉幣を勤仕の事)日前宮の御奉幣である。
(予が御幣使となる。その儀式)
しばらくして、ここで御祓があった。予は御幣を取って立つ。御祓が終わって庁官に返し給う。神馬2疋を引かさせ、御幣を持って、日前宮に参る。
社殿の前は甚だ厳重であるが、予の浄衣と折烏帽子は甚だ平凡である。但し道の習わしは何ともしようがない。

両社(※日前神宮・国懸神宮)の間中央の石畳(舞台のようだ)の上に座す〔こも二枚を敷いて座となす。中を切ったのは西東の区切りためか〕。
神職の教えによって、御幣を取って拝す〔前後の両段〕。
神職に捧げる〔御使は御幣を取って拝舞する。そんな例を知らない。諸社の奉幣使は御幣を社に捧げて笏をもって拝するが、どうだろうか?〕。

神職は唐笠を差して来る。〔日の光に当たらないためとのこと。普通の束帯である。ただしこの男は大宮司の息子であるとのこと。その父においては紙冠を戴き、戸外には出ず、戸内にいて僅かに見える〕御幣を取る。

黄衣冠の神人(※じにん:神社に所属した奉仕者)に、中門の戸内に入らさせ、祝詞。それを聞き終わると、神人がまた中門を出て還祝がある。
予は立って、東のこもに座す。また御幣〔本より2本である〕を取って拝し同じく神職に捧げる。
順序は例の如し。終わって退出〔石畳の下でシトを徹し、やはり脛巾を付ける。この役を奉仕するのは恐れがある〕。

これより道に向う。はなはだ遠い。満願寺を過ぎる間に、僧らが忽ちに喚び入れる。毎度日前御幣使はこの寺に参るとのこと。無理矢理に参入させられた。役人が御誦経物をそろえると、僧らは「品が乏しい〔先例に似ない〕」という。すこぶるおもしろくない。僧が仕方なく礼盤(※らいばん。本尊の前で礼拝し誦経するための高座)に昇る間に予は退出する。

遠路を凌いで道に出て、ナクチ王子に参る〔これより先また2つの王子がいらっしゃるとのこと。ワサ王子・平緒王子は道の途上にないので参らない。先達だけが奉幣する〕。
次に松坂王子に参る(子を抱く盲女がいた)。次に松代王子に参る。次に菩薩房王子に参る〔これより歩く〕、次に祓戸王子に参る。次に藤白宿に入る〔御所まで行かない。三町ほど離れた小宅である〕。疲労で身を横たえる。

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(てつ)

2009.2.23 UP
2010.10.29 更新
2020.2.17 更新

参考文献