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平家物語9 平維盛の熊野詣

平維盛、最後の熊野詣

1 平清盛の熊野詣 2 藤原成親の配流 3 成経・康頼・俊寛の配流 4 平重盛の熊野詣
5 以仁王の挙兵 6 文覚上人の荒行 7 平清盛出生の秘密 8 平忠度の最期
9 平維盛の熊野詣 10 平維盛の入水 11 湛増、壇ノ浦へ 12 土佐房、斬られる
13 平六代の熊野詣 14 平忠房、斬られる

建春門院滋子の舞


 平維盛(たいらのこれもり:1158年~1184年)は、平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。
 「桜梅小将」などとその美しさを春の花の色になぞらえられた若き武将でしたが、武将としての力量は乏しく、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫しました。
 平氏一門が都落ちしたのち、一ノ谷の戦いの前後、平維盛は陣中から2人の従者とともに逃亡し、戦線を離脱。高野山に入って出家し、熊野を目指します。

『平家物語』巻第十「熊野参詣」現代語訳

 日数が経つと、岩田川にもおかかりにもなった。「この川の流れを一度でも渡る者は、悪業煩悩無始の罪障が消えるという」と頼もしく思われた。
 本宮に参り着き、証誠殿(しょうじょうでん:本宮の本殿)の御前にひざまずきなさって、しばらく経を読み申し上げて、御山の姿を拝みなさると、心も言葉も及ばない。大悲擁護の霞は、熊野山にたなびき、霊験無双の神が音無川に垂迹した。一乗修行の岸には、神の感応の月がくまなく照り、眼耳鼻舌身意の六根が犯した罪を懺悔する社に庭には、妄想の露も結ばれない。頼もしくないということは何もない。夜が更け、人が静まって、神仏に願い事をしなさると、父の大臣がこの御前で「私の命をお召しになって、後の世をお助けください」と申されたことまでも思い出されて哀れであった。

 「本宮の神の本地は阿弥陀如来でいらっしゃいます。衆生を救い取って決して捨てないという弥陀の本願に違うことなく、私を浄土へ導いてください」と申された。なかでも「故郷に留め置いた妻子を安穏に」と祈られたのは悲しいことだ。浮き世を厭い、仏道にお入りになったけれども、妄執はなお尽きないと思われて、あわれな事ごとであった。

 夜が明けたので、本宮から船に乗り、新宮へ参られた。かんのくら(神倉)を拝みなさり、巌に松が高くそびえて、山風は妄想の夢を破り、水は清く流れて、その川の波は塵埃の垢をすすぐだろうとも思われた。明日の社(阿須賀神社)を伏拝み、佐野の松原を過ぎて、那智の御山にお参りになる。

 三重にみなぎり落ちる滝の水(那智の滝の上流には二の瀧、三の滝がある)、数千丈までよじのぼり、観音の霊像は岩の上に現われて、補陀落山(ふだらくせん:インドにある観音菩薩が住む山)ともいうべき霊山だ。霞の底には法華読誦(ほけどくじゅ)の声が聞こえて、霊鷲山(りょうじゅさん:釈迦が説法したインドにある町)とも申し上げることができる。

 そもそも権現が当山に垂迹しなさってからこのかた、我が朝の貴賤上下が歩みを運び、頭を傾け。掌を合わせて、ご利益をこうむらない者はない。そうであるから、僧侶は庵を作って甍を並べ、出家も俗人も袖を連ねて修行している。寛和(かんわ:花山天皇のときの年号。花山天皇は寛和2年6月に退位)夏の頃、花山法皇が十膳の帝位をお退きになられて九品浄土への往生のために修行をなさったというご庵室の旧跡には、昔を忍ぶと思われて、老木の桜が咲いていた。

 那智籠りの僧たちのなかに、この三位の中将をよくよく見知り申し上げていると思われる僧がいて、同行に語ったことには、
 「ここにいる修行者をどのような人かと思ったら、小松の大臣の御嫡子、三位の中将でいらっしゃるではないか。その殿がいまだ四位の少将と聞こえなさった安元の春頃、法住寺殿で後白河法皇五十の御賀があったが、父小松殿は内大臣の左大将でいらっしゃって、伯父宗盛(むねもり)卿は大納言の右大将で、階下に着座された。

 その他、三位の中将知盛(とももり)・頭中将重衡(しげひら)以下一門の人々が今日を晴れとときめきなさって、舞台の下手で並んで笛を吹くなかから、この三位の中将(※維盛※)が桜の花をかざして青海波(せいがいは)を舞って出てきたので、露に媚びた花の御姿、風に翻る舞の袖、地を照らし天も輝くばかりであった。

 女院から関白殿をお使いにして御衣をかけられたので、父の大臣が座を立って、これを受け取って維盛の右の肩にかけ、維盛は御衣を肩にかけて法皇に拝礼し申し上げなさった。類い稀な名誉であった。維盛と同輩の殿上人はどれほどうらやましく思われたことだろう。内裏の女房たちのなかでは、『御山木のなかの桜梅のように思われます』などといわれなさった人であるぞ。

 もうすぐ大臣で大将におなりになる人だと期待して見申し上げていたが、今日はこのようにやつれ果てなさっている御ありさま、以前には思いもよらなかったことであることだ。移れば変わる世の習いとはいうものの、哀れなことである」

と言って、袖を顔におし当ててさめざめと泣いたので、いくらも並みいる那智籠りの僧たちも、みな僧衣の袖を濡らした。

 (現代語訳終了)

 

 

(てつ)

2008.12.26 UP
2019.11.5 更新

参考文献

熊野の梛(ナギ)の葉