み熊野ねっと 熊野の深みへ

blog blog twitter facebook instagam YouTube

熊野懐紙2:正治2年(1200)12月6日 滝尻王子和歌会「山河水鳥、旅宿埋火」

熊野懐紙

 24年の在院期間のうちに28回もの熊野御幸を行った後鳥羽上皇(1180~1239)。その熊野御幸の特色として、道中、宿所となる王子社などで神仏を楽しませるために和歌の会が度々催されたことが挙げられます。

 その和歌会に参加した人々が自分の詠んだ歌を書いて差し出した自詠自筆の和歌懐紙を熊野懐紙(くまのかいし)といいます。現存する熊野懐紙とその歌の数は35枚、70首。和歌会の催された年月日、場所、歌題によって7つに分類することができます。

  1. 正治2年(1200)12月3日 切目王子 「遠山落葉、海辺晩望」…11枚22首
  2. 正治2年(1200)12月6日 滝尻王子 「山河水鳥、旅宿埋火」…11枚22首
  3. 年月日未詳(正治2年と推定) 藤代王子 「山路眺望、暮里神楽」…3枚6首
  4. 年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「古谿冬朝、寒夜待春」…2枚4首
  5. 年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「行路氷、暮炭竈」…4枚8首
  6. 建仁元年(1201)10月9日 藤代王子 「深山紅葉、海辺冬月」…3枚6首
  7. 建仁元年(1201)10月14日 近露王子 「峯月照松、浜月似雪」…1枚2首

正治2年12月6日滝尻王子「山河水鳥、旅宿埋火」11枚22首

滝尻王子跡
滝尻王子宮十郷神社(滝尻王子跡)

 ここでは2の<正治2年12月6日 滝尻王子 「山河水鳥、旅宿埋火」>をご紹介します。

 「山河水鳥、旅宿埋火」の懐紙は後鳥羽上皇のもの以下11枚22首が伝わりますが、一巻にまとめられた状態ではなく、個人や美術館などがバラバラに所蔵しています。

 源季景(すえかげ。生没年未詳)の懐紙の裏面に「滝尻王子和歌会 正治二年十二月六日」との付札があることから、正治2年12月3日の切目王子の歌会から3日後の滝尻王子での歌会のものとわかります。
 歌会に参加した歌人は3日前の切目王子の歌会とほぼ同じで、藤原家隆に代わって藤原長房が加わっています。

 まずは滝尻王子について。
 滝尻王子は、富田川(かつては岩田川と呼ばれた。岩田川は、中世の熊野詣のメインルート中辺路を歩く道者が初めて出会う熊野の霊域から流れ出ている聖なる川で、熊野詣の重要な垢離場のひとつ)と石船(いしぶり)川の合流点にあり、「滝尻」の名は、石船川の急流が富田川に注ぐ滝のような水音からきたといいます。
 熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつで、熊野の霊域の入り口とされたとても重要な場所でした。

 それでは上皇以下11枚の懐紙に書かれた歌を口語訳と合わせてご紹介します。
 ただし、口語訳は語注も何もない状態から私が古語辞典だけを手がかりに訳しましたので、かなり怪しい箇所もあり、わからない箇所も多々あります。何かお気づきの点などございましたら、ご教示ください。
 なお濁点は私の判断で付けています。やはりおかしい箇所がございましたら、ご教示ください。

1.後鳥羽上皇(1180~1239)の歌2首

  詠二首和謌

   山河水鳥

おもひやるかものうはけのいかならむ しもさへわたるやま河の水

(訳)思い遣る鴨の上毛はどうであろうか。霜が冴え渡る山河の水。

   旅宿埋火

たびやかたよものをちばをかきつめて あらしをいとふうづみびのもと

(訳)旅の宿所の四方の落ち葉を掻き集めて、強い風を厭う埋火のもと。

2.源通親(みちちか:1149~1202)の歌2首

  詠山河水鳥和哥/右近衛大将(源)通親

たにがはのいわまのこけや おしどりのたまものふねのとまりなるらん

(訳)谷川の岩間の苔がオシドリのたまものふね(?)の泊まるところであるのだろう。

   旅宿埋火

うづみ火のあたりのみかはかりいをさすかきねのむめも春しらせけり

(訳)埋火の辺りだけか。旅宿用に作られた仮の小屋のほうに枝をのばしている垣根の梅も春を知らせていることだ。

3.藤原範光(のりみつ:1155~1213)の歌2首

  詠二首和哥/春宮亮藤原範光

   山河水鳥

やまかはのいはうつをとにをどろかで いかになれたるおしのうきねぞ

(訳)山川が岩を打つ音に驚かないで、いかにも慣れている様子でオシドリが水に浮いたまま寝ていることだ。

   旅宿埋火

うづみびのあたりはふゆのくさまくら もえいづるはるのけしきなるかな

(訳)埋火の辺りは冬の旅寝(?)。芽ぐむ春の景色であることだ。

4.藤原公経(きんつね:1171~1244)の歌2首

  詠二首和歌/参議左近衛権中将藤原朝臣公経

   山河水鳥

やまかはやいはまのみづのかけとぢて こほりにうつるすがのむらとり

(訳)山河の岩間の水が氷っている。その氷に映る菅原で群がっている鳥。

   旅宿埋火

くさまくらあさたつかぜもをとさへて なをうづみびのもとはわすれず

(訳)旅寝の朝、吹く風の音も冴えて、まだ埋め火のもとは忘れない(?)。

5.藤原雅経(まさつね:1170~1221)の歌2首

  詠二首和哥/侍従藤原雅経上

   山河水鳥

いはたがはいくせのなみをかづくらん たちぬるおしのすゑにおりゐる

(訳)岩田川のいくつの瀬の波をかぶるのだろうか。???

   旅宿埋火

よもすがらまきのしたをれかきつめて あさたちやらぬうづみびのもと

(訳)一晩中、薪の下折れを掻き集めて、朝、たちやらない埋火のもと(?)。

6.源具親(ともちか:生没年未詳)の歌2首

  詠二首和哥/能登守源具親上

   山河水鳥

いはたがはいくせのなみにすみなれて わたれとのこるおしのひとこゑ

(訳)岩田川のいくつもの瀬の波にも住み慣れて、「渡れ」と残るおしの一声(?)。

   旅宿埋火

ならひきぬあさたつほどになりにけり あたりによはるよひのうづみび

(訳)ならひきぬ(?)朝の出発する時間になってしまった。辺りには勢いの弱った宵の埋火。

7.藤原長房(1168~1243)の歌2首

  詠二首和哥/右中弁藤原長房

   山川水鳥

すみなれぬあちのむらとりさはぐなり いしぶりがはのなにやおどろく

(訳)住み慣れないあち(?)の群がる鳥が騒いでいる。石船川の何に驚いたのか。

   旅宿埋火

うづみびのあたりはふゆぞわすらるゝ たびのそらにやはるのきぬらん

(訳)埋火の辺りは冬が忘れられる。旅先で春が来たのだろうか。

8.藤原隆実(たかざね:1177~1265)の歌2首

  詠二首和歌/散位藤原隆実上

   山河水鳥

やまかげやをちくるみづのせをはやみ よどみにつどふあちのむらとり

(訳)山陰の落ちてくる水の瀬が速いので、淀みに集まるあち(?)の鳥が群がっている。

   旅宿埋火

くさまくらあくればさゆるたびのよに まづたちやらぬうづみびのもと

(訳)???きびしく冷える旅の夜に、まず埋火のもとを???

9.源家長(1170?~1234?)の歌2首

  詠二首和歌/散位藤原家長

   山河水鳥

いはたがはわたるせごとにたちさはぎ うきねさだめぬかものむらとり

(訳)岩田川を我々は何度も何度も徒渉するが、渡る瀬ごとに我々が立ち騒ぐので、水に浮いたまま寝る鴨の群れも落ち着いて寝ていられないことだ。

   旅宿埋火

うれしくもけぶりのあとのきえやらで あさたついまもねやのともしび

(訳)嬉しいことだ。煙のあとが消えていない。朝出発する今も寝屋の灯火は。

10.源季景(すえかげ:生没年未詳)の歌2首

  詠二首和哥/右衛門少尉源季景上

   山河水鳥

すみかぬるおしのこゑのみひまなくて つらゝによはるたにがはのをと

(訳)住みかねるオシドリの声ばかりが休みなくて、谷川の音は凍り付いて弱っていることだ。

   旅宿埋火

うづみびのまくらにちかきたびねには はらはぬそでにしもぞきえゆく

(訳)埋火が枕に近い旅寝では、袖も払わぬのに霜が消えていく。

11.寂蓮(1143?~1202)の歌2首

  詠二首和歌/沙弥寂蓮上

   山川水鳥

いはたがはこほりをくだくすゑまでも あはれとおもへをしのひとこゑ

岩田川が氷を砕く将来までも哀れと思え。オシドリの一声。

旅宿埋火

くさまくらあたりもゆきのうづみ火は きえのこるらむほどぞしらるゝ

(訳)???埋火は消え残る???

(てつ)

2004.10.13 UP
2020.7.23 更新

参考文献