熊野に伝わる平家伝説
熊野における平家伝説を、江戸時代に紀州藩が編纂させた紀伊国の地誌『紀伊続風土記』からピックアップ(現代語訳てつ)。
平維盛の入水
浜ノ宮村:紀伊続風土記(現代語訳)
○浜宮
『平家物語』に維盛入道のことを記して、三の御山(※熊野三山※)の参詣を事故なくついにお遂げになったので浜ノ宮と申し奉る王子の御前より一葉の船に棹さして万里の蒼海にお浮かびになるとある。これがすなわち当社である。
熊野の観光名所:熊野三所大神社
熊野の説話:平家物語9 平維盛の熊野詣
熊野の説話:平家物語10 平維盛の入水
○山成島 赤色浜
村の東南にある。
『平家物語』十巻に、
三の御山の参詣を事故なくついにお遂げになったので浜ノ宮と申し奉る王子の御前より一葉の船に棹さして万里の蒼海にお浮かびになる。遥か沖に山成島という所がある。それに舟を漕ぎ寄せさせ岸に上がり大きな松の木を切って、中将は銘跡を書き付けられた。祖父太政大臣平朝臣清盛公法名浄海、親父内大臣左将軍重盛公法名浄蓮、三位の中将維盛法名浄円、生年27歳、寿永3年3月28日、那智の沖にて入水す」と書き付けて、また沖へ漕ぎ出しなさる。(中略)声高に念仏を100遍ほど唱えつつ、「南無」と唱える声とともに、海へお入りになった。兵衛入道も石童丸も、同じく御名を唱えつつ、続いて海へ入った。
と見える。
土地の人が伝えるには、維盛は村の東6町ばかりの海浜赤色浜の沖で入水したというのは偽りで、じつは山成島に上がってそれより色川郷の大野村に隠れたという(浜宮より出船して山成島に上がりそれより太地身洗浦にて上陸して色川郷に至ったのであろう。維盛の子孫のことは色川郷の口色川村に見える)。『平家物語』に浜宮王の御前というものはすなわち赤色の浜で、その名は異なるがその実は一である。
熊野の説話:平家物語10 平維盛の入水
平維盛の大刀
太地村:紀伊続風土記(現代語訳)
○飛鳥社
本社 拝殿
末社2社
村の中の浜辺にある。寛永元年新宮より勧請した。棟札がある。村の中の産土神である。神殿に平維盛の大刀というのを納める。刀身の長さ2尺、柄と合わせて3尺のものが2振りある。目釘の所から2つに折れている。無銘である。この刀を古くから村の中で伝えたことは『寛文雑記』にも見えている。
熊野の観光名所:飛鳥神社
○身洗浦(みすすぎうら) 太刀落島
身洗浦は今は水の浦という。村の北の浜である。小松三位平維盛卿がこの浦より上陸し山水で身を濯いだことからその名が起こったと伝えいう。
太刀落島は村の子丑の方(※北微東※)の海の中にある。干潮時には少し石の頭が顕われる。維盛卿が太刀をこの辺りで落としたことからその名があると伝える。
これらのことは『寛文雑記』にも見える。
平家と言えば熊野です。『平家物語』もぜひお読みください。
1 平清盛の熊野詣 2 藤原成親の配流 3 成経・康頼・俊寛の配流 4 平重盛の熊野詣
5 以仁王の挙兵 6 文覚上人の荒行 7 平清盛出生の秘密 8 平忠度の最期
9 平維盛の熊野詣 10 平維盛の入水 11 湛増、壇ノ浦へ 12 土佐房、斬られる
13 平六代の熊野詣 14 平忠房、斬られる
建春門院滋子の舞
(てつ)
2012.6.12 UP
2020.5.24 更新
参考文献
- 『紀伊続風土記』 臨川書店