伊勢路で最も古い鎌倉時代の石畳道を歩く
大泊から波田須への観音信仰の道。
比音山清水寺への参道の路傍に西国三十三所の石仏が並びます。33体の石仏は江戸時代に信者が寄進したもの。
比音山清水寺については『紀伊国名所図会』に、
比音山と号す。大泊村の北十町ばかりの山上岩窟に造り懸けたる方四間ばかりの小堂なり。本尊千手観音菩薩、坂上田村麻呂の守本尊という。大同二年(※807年)将軍田村麻呂の草創にして、山城清水寺の所領なり。古くは二十四、五石の寺領もありし由なれど、浅野氏の時に至り没落せらる。田村麻呂は延暦二十年(※801年)詔を奉じて、東夷征伐のみぎり、この本尊を賜りしかば、戦場に現じ給いて、ことごとこ夷てきを退治したまいしとならん。寺の南三町ばかりにして山腹に瀧あり。高さおよそ三十間あり。清滝または観音の瀧とも云う。後、征夷大将軍となり右大将に任ぜられる。弘仁二年(※811年)五月卒す。年五十四。
とあり、また、その本尊については『西国三十三所図会』に、
岩窟観音。本堂の後にあり。岩窟の中に閻魔大王の観音をおさむという。坂上田村麻呂に将軍の宣旨を下し、勢州鈴鹿に発向あって、東夷を退治し、南蛮の悪鬼を鎮めさせぬ。今の八鬼山、九鬼、三鬼これなり。然りといえども鬼賊ことごとく討ちしずめて、深山幽谷に飛び行きその在所さしてみえず。この一つの高山あり。将軍これによじ登り一心に観音の御名を唱えれば、立烏帽子着たる天女忽然とあらわれ告げて曰く。是より南の海辺に岩屋あり。悪鬼あれに隠れり。行きて討つべし。伊勢の海、熊野の奥の末までも大悲の弓に悪鬼退く。我は大馬権現なりと白馬に乗じて、西天に飛び入りぬ。立烏帽子着たる天女下りし所ゆえ、烏帽子山と申し伝うなり。
とあります。
大泊駅→比音山清水寺→波田須駅(約4.7km;約2時間50分)
・大泊駅
↓(0.5km;15分)
・大泊登り口
↓(1.4km;60分)
・比音山清水寺
↓(1.8km;75分)
・波田須登り口
↓(1.0km;20分)
・波田須駅
なおこの所要時間には休憩時間・見学時間・参拝時間などは含んでおりませんので、その点はご注意ください。
地図を携帯されることをお忘れなく。
(てつ)
2008.12.17 UP
2020.6.9 更新
参考文献
- 観光案内所などに置かれている熊野古道のガイドマップ
- 宇江敏勝監修『熊野古道を歩く (歩く旅シリーズ)』山と渓谷社
- みえ熊野の歴史と文化シリーズ1『熊野道中記 いにしえの旅人たちの記録』 みえ熊野学研究会編
- 『紀伊国名所図会』臨川書店
大泊駅へ
アクセス:名古屋駅からJR紀勢本線、特急にて熊野市駅下車。熊野市バス二木島駅行きに乗り換えて大泊バス停下車(バスを使わず鉄道で行く場合は普通多気行きに乗り換えて大泊駅へ)。