熊野本宮大社近辺の熊野古道「中辺路」
妻とともに、リハビリをかねて熊野古道を歩きました。3週間ほど前までは松葉杖生活でしたので、かなり遅いペースです。途中で何組かの人たちに追い抜かれました。
今回歩いた「三軒茶屋跡 → 熊野本宮大社旧社地」は全体的にはなだらかな下りとなっているコースで、距離は4kmほどで、約1時間のコース。普通の体力がある人であれば、まず問題なく歩くことができると思います。
三軒茶屋跡 → 熊野本宮大社旧社地(約4km;約1時間コース)
・平岩口バス停
↓(0.7km;10分)
・三軒茶屋跡
↓(2.0km;35分)
・祓戸王子
↓(0.1km;3分)
・熊野本宮大社
↓(5分)
・本宮大社前バス停
↓(0.5km;5分)
・熊野本宮大社旧社地
熊野本宮大社旧社地にお参りするのを忘れないでくださいね。ここがもともと本宮のあった場所です。
なおこの所要時間には休憩時間・見学時間・参拝時間などは含んでおりませんので、その点はご注意ください。
※アクセス
平岩口バス停までは熊野交通バス・龍神バス・奈良交通バス・住民バスをご利用ください。
平岩口バス停には特急バスは停まりませんので、ご注意ください。
てつの熊野古道歩きレポート
2005年10月21日(金)晴れ
家から三軒茶屋跡までは皆様の参考にはなりませんのでレポート省略。
みなさまは平岩口バス停でバスを下車してください。平岩口バス停付近の国道168号に「三軒茶屋跡まで700m」の看板があります。国道から細い車道に入ってその道を登っていってください。10分ほど歩くと車道の上に架かる橋がありますが、その橋が熊野古道です。橋の南側(本宮より)のほうに三軒茶屋跡があります。
タクシー(熊野第一交通:0735-42-0051)を利用される場合は平岩口バス停ではなく三軒茶屋跡まで行ってもらえばよいです。
車でお越しの方は本宮大社付近の駐車場に車を停めて、バス(本宮大社前から十津川方面へ4分ほど)またはタクシーを利用して三軒茶屋跡まで行ってください。
午前10:00前に三軒茶屋跡近くに着いたが、ちょうど団体客が来たので、車道に架かる橋の反対側に登ってちょっと待つ。ここに71と書かれた木の道標がある。滝尻から500mごとに置かれた道標で、滝尻王子が1番。本宮大社の裏の鳥居のすぐ近くの祓戸王子に最後の75番がある。だから三軒茶屋跡から本宮大社までは約2km。時速4kmで歩ければ30分、時速3kmで45分の距離。
10:00。団体客がスタートしたので、橋を渡って、三軒茶屋に行く。
江戸時代に三軒の茶屋があった場所で、中辺路と小辺路の合流点であった。現在は休憩所&トイレがある(ここから本宮大社までは途中にトイレはない)。
知人が休憩所で店を出していたので、ちょっとおしゃべり。売っていたのは、蜂蜜とか鮎とからっきょとか梅干とか。とくに蜂蜜はニホンミツバチのものなので、一般に売られている西洋ミツバチの蜂蜜とは味が違うのでお薦め。とても濃厚な味です。
休憩所&トイレのすぐそばに江戸時代の道標の石があり、また近年作られた関所がある。
石には本宮方面から見ると「右かうや十九り半/左きみい寺三十一り半/みち」と刻んである。左の道が高野山へと続く小辺路(通行不能。この場所では道はわずかに残るのみ。八木尾からは高野山まで続く)で、この道のほうから石を見ると「左本宮道/二十一丁」と刻んである。
関所は「九鬼ヶ口関所」といい、本当は国道168号の辺りにあったが、ここに模擬的に復元された。関所を通るには通行手形と通行料が必要だった。通行料は江戸時代の文久年間(1861~64)で十文(今の金銭価値だと200円くらいらしい)。現在はもちろん関所の番人がいないので、誰でも無料で自由に通ることができる。(*^o^*)
関所を通ると、少しの間、緩やかなのぼり。登りきれば平坦な道に。道の上下は杉檜の人工林が多い。よく間伐してある所が多いが、間伐が足りなくて薄暗い所もわずかながらある。
何組かの人たちに追い抜かれる。72番の道標には10:20着。登りがあったせいか、500mを20分というスローペース。時速1.5km! 遅いねえ。75番の祓戸王子まであと1.5km。このペースでは本宮大社まであと1時間かかる。
73番の道標には10:32。500mを12分。時速2.5km。平坦な道だったので、ペースアップしている。本宮大社まであと1km。
少し行くと、「ちょっとより道」の看板。古道から外れて少し登らなきゃならないけれど、「和歌山県の朝日・夕日100選」の夕日の部に選ばれた見晴しのよい場所に出れるので、行くことにする。10:39。
登りきると、開けた場所に出る。10:43。
遠くの山々が見える。右手(西)に大塔山系。左手には熊野川が見える。熊野川は大峰山系を源流とする近畿最長の河川。世界遺産で唯一の文化遺産として登録された川。本宮-新宮間の移動は熊野川の水上交通が利用された。
正面には本宮旧社地や近年建てられた日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)が見える。大鳥居には金色の八咫烏が輝いている。八咫烏は熊野の神様の使い。現在では、八咫烏は熊野のシンボルマークとなっている。
これは「新伏拝王子」と呼びたい眺め。昔の人ならきっと伏し拝んだことだろう。
見晴し台から古道に戻る。古道端に三体の石仏がある。ここで行き倒れた人を弔ったものか。昔は行き倒れる人も多かったが、熊野詣の途中で亡くなっても極楽往生できるとされた。
74番の道標に10:55。石畳の下り坂。石畳は江戸時代のもの。石畳は足下が滑りやすいので注意。立ち止まって振り返ってみると、石畳がきれい。
前方が明るくなってくる。山道を抜けると、団地がある。ここの下りの石段がこれまででいちばん堪えた。下りは膝にくる。フェンスに掴まりながら降りる。車道に降りたら、本宮大社まであと少し。
11:16、祓戸王子。75番の道標。面積は小さいが、大きな木が数本立っていていい感じ。イチイガシが2本。クスノキが1本。その他スギなど。これだけ大きいイチイガシって貴重だと思う。
振り返って祓戸王子を見る。
11:23、本宮大社の裏の鳥居をくぐる。鳥居横に細い道があり、そちらが本来の古道らしい。社殿の横を通って、社務所の前を通り、黎明殿の前に出る。タラヨウの木がある。葉書の語源となった木。タラヨウの葉に先の尖った物で引っ掻いて字を書いてしばらくおくと、引っ掻いたあとが黒く浮かび上がってきて字が読めるようになる。
神門をくぐり、社殿の前に出る。第一殿から第四殿まで横一列に並ぶ。もともとは熊野川・音無川・岩田川の合流点の中州にあった。明治22年の大水害で多くの社殿が流出する被害を受け、2年後(明治24年)に流出を免れた社殿をここに移築、遷座した。
熊野三山は共通の神様を祀っているが、主祭神はそれぞれ異なる。本宮の主祭神、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。阿弥陀如来)が祀られているのは第三殿。
第二殿は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ。熊野速玉大社の主祭神。薬師如来)、第一殿は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ。熊野那智大社の主祭神。千手観音)、第四殿は天照大神(あまてらすおおみかみ。十一面観音)を祀っている。参詣の順番は、かつての熊野御幸にならい、第三殿、第二殿、第一殿、第四殿となる。
右手隅の方に白河上皇が詠んだ歌を刻んだ歌碑もある。「咲きにほふ 花のけしきを みるからに 神のこゝろぞ そらにしらるゝ」。
近くに小泉純一郎総理が平成16年5月29日(みどりの日)に手植えした熊野権現桜もある。
石段を下りて旧社地に向かう。石段の傍に細い道があってそれが古道らしいが、今の私には無理。手すりに掴まりながら石段を下る。下の鳥居に着いたのが11:50。ここに本宮大社前バス停がある。もうお昼なので、近くのお店に入って昼食をとる。
12:35に再スタート。旧社地へは、現在は川の流れが変わったため川を渡ることはないが、かつては音無川を渡らねばならなかった。わらじを濡らして徒渉し、濡れたわらじのまま本宮の御前に参拝した。これを「ぬれわらうつの入堂」といった。
黄金の八咫烏が輝く大鳥居をくぐり、森の中に。森といってもスギが主。熊野の神木であるナギが植えられている。イチイガシもある。
最終目的地の旧社地に到着したのが12:47。かつてここに熊野本宮があった。
みなさまにはぜひここでの時間を多めに取っていただきたいです。今は二基の石祠と一遍上人にちなむ「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑と、クスノキやサクラなどの木々があるのみですが、こここそが多くの上皇や女院や貴族、宗教家、庶民たちが訪れ、祈りを捧げた聖なる土地なのですから。
ここまで来るのに三軒茶屋からおおよそ2時間。お店で昼食をとったのでその時間を除いても1時間半。怪我する前だったら、急げば1時間かからなかっただろうけれどねえ。まあ、ぼちぼち慣らしていきます。
みなさまはここからまた来た道を本宮大社前バス停まで戻って、次の目的地に向かうバスをお待ちになるとよいと思います。本宮大社前でしたらお店もありますし。お土産を購入したり、お茶を飲んだり、食事をしたりして待ち時間を過ごすことができます。ですので、旧社地に向かう前にバスの時間をチェックしておくとよいでしょう。
本宮大社前を8時19分に出発する発心門王子行きの龍神バスに乗車。午前8時37分に、発心門王子バス停に到着。乗車時間はおよそ18分。運賃は450円(1日1便の住民バスは乗車時間はおよそ25分、運賃は200円)。
発心門王子にお参り。
熊野九十九王子のうち、格別の崇敬を受けた王子の五体王子のひとつです。発心とは発菩提心(はつぼだいしん)、「仏道に入り、仏智を証する志をおこす」という意味の言葉です。
中世には、この近くに「発心門」と呼ばれた大鳥居がありました。
この大鳥居「発心門」が本宮の聖域の入り口であり、参詣者はこの大鳥居の前で祓いをして、その後、鳥居をくぐり、発心門王子に参りました。
建仁元年(1201年)の藤原定家(1162 ~1241)の『後鳥羽院熊野御幸記』には、
この王子の宝前は殊に信心を発こす。紅葉が風に翻る。宝殿の上には4~5尺の木が隙間無く枝を広げている。多くは紅葉である。社の後に、尼の南無房の堂がある。この堂の内にまた一首書き付けた。後で、ここの尼が制止して物を書かせない云々と聞いた。知らないで書いてしまった。
というようなことが書かれてあります。発心門王子の裏手が南無房宅跡とされ、発心門王子社跡とともに国の史跡に指定されています。
8時50分、発心門王子を出発。バスで来た道を少し戻り、それから右手の細い道に入ります。
少し行くと休憩所とトイレがあります(次にトイレがあるのは約1時間後にたどりつく伏拝王子です)。62番の道標。8時55分。
道標は滝尻から500mごとに置かれた道標で、滝尻王子が1番。本宮大社の裏の鳥居のすぐ近くの祓戸王子に最後の75番があります。
発心門(地元の人は「ほっしんもん」ではなく「ほっしんぼ」という)の集落を通り、再びバスで通って来た道に出ます。9時5分。発心門バス停があります。
少し行って右手の道へ。
64番の道標。9時11分。
分校跡。65番の道標。9時19分。
もと校舎の横に水呑王子があります。1723年(享保8年)に紀州藩主徳川宗直が緑泥片岩の碑が残されています。この碑の背後の山から道路付近一帯が水呑王子の旧社地であったといわれています。
今までずっと舗装された道を歩いてきましたが、土の道に入ります。桧や杉の人工林。林齢は30年生くらいでしょうか。
66番の道標。9時29分。
67番の道標。9時38分。林を抜けて伏拝(ふしおがみ)の集落に出ます。
再び舗装された道。伏拝の集落を歩きます。
68番の道標。こんな山の上に井戸があるのが不思議(菊水という地区なので菊水井戸という)。9時48分。
9時56分。和歌山県と奈良県の県境となっている果無山脈。下の写真中央が百前森山。山頂が平坦な広い場所になっていて、昔侍達が酒盛をしたとき、100人の膳が並んだことからこの呼び名がおこったと言われています。 旧三里村にある富士山に似た山ということで「三里富士」と称されます。
ちょっとの間、土の道を歩いて、伏拝王子到着。10時2分。休憩所とトイレがあります。発心門王子を出発して伏拝王子までおよそ1時間10分で歩きました。
ここから先は中辺路(伏拝~本宮)をお読みください。伏拝王子から熊野本宮大社までは1時間10分ほどです。伏拝王子には休憩所とトイレがあります。伏拝王子を過ぎたらトイレは熊野本宮大社までありません。
道しるべがあるので、道に迷うことはないと思いますが、地図を携帯されることをお忘れなく。
(てつ)
2005.10.24 UP
参考文献
- 観光案内所などに置かれている熊野古道のガイドマップ
- 宇江敏勝監修『熊野古道を歩く (歩く旅シリーズ)』山と渓谷社
- 『熊野古道公式完全ガイド―紀州和歌山県版』扶桑社ムック
平岩口バス停へ
アクセス:
・JR新宮駅からバスで約1時間35分、平岩口バス停下車
・JR紀伊田辺駅からバスで約2時間10分、平岩口バス停下車
・本宮大社前バス停からバスで約5分、平岩口バス停下車
駐車場:駐車場なし