このページでは「Yamareko(ヤマレコ)」に投稿された熊野古道のルートマップを貼り付けています。Yamarekoには多くの熊野古道のルートマップが投稿されているのでぜひ参考になさってください。
大峰奥駈道ルートマップ 吉野~熊野本宮
吉野
青根ヶ峰
大天上ヶ岳
山上ヶ岳
大普賢岳
行者還岳
弥山
八経ヶ岳(近畿最高峰1915m)
仏生ヶ岳
孔雀岳
釈迦ヶ岳
大日岳
涅槃岳
行仙岳
笠捨山
玉置山
大森山
熊野本宮
大峰大峰奥駈道について
熊野と吉野を結ぶ修験道の山駈けの道「大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)」。
熊野から吉野まで連なる大峰山系は、役の行者が開いたとされる修験道の根本道場であり、大峰山系の南端である熊野は中世、修験道の一大中心地でした。
平安初期までは吉野の金峯山が修験者の修行の中心地でしたが、よりよき霊地を求めた修験者が大峰の山中に分け入り、南へと南へと進み、熊野への道が開かれたものと思われます。
温暖多雨で植生豊かな熊野の陰鬱な照葉樹林に修験者達たちはおそらく濃い霊気を感じたのでしょう。
次第に修験者たちが熊野に集まるようになり、中世には熊野が修験道の一大中心地になりました。
大峰山系を縦走することを「大峰奥駈け」といいますが、奥駈け道の道中には「七十五靡(なびき)」といわれる75ケ所の行場が設けられています。
その靡の一番は熊野本宮の証誠殿です。
本宮が大峰奥駈けの出発点であり、七越の峰の麓には山伏の宿坊が建ち並んでいたといいます。
ちなみに吉野から熊野へ駆けるやり方もあり、それを逆峯(ぎゃくぶ)といい、遅れて大峰に入った真言宗の醍醐寺三宝院系(当山派)の山伏が行いました。
熊野から吉野へ駆けるやり方は、順峯(じゅんぶ)といい、もともと熊野を支配し、大峰奥駈けを先に始めていた天台宗の園城寺・聖護院系(本山派)の山伏が行っていました。
しかし、現在では「順峯・逆峯」という言い方とはまるで逆に、逆峯が一般的な大峰奥駈けのやり方になっています。
近世以降、紀州藩の宗教政策によって熊野三山が神道化し、熊野修験が衰退してしまったのが原因です。
近世以降は天台・真言の両派とも大峰には吉野から入るのが一般的になってしまいました。
私は、玉置山~釈迦ヶ岳、弥山~八経ヶ岳、大普賢~行者還岳の大峰奥駈道は歩いたことがあります。紅葉の時季は景色がすばらしいです。
大峯七十五靡
大峯七十五靡を第一靡から第七十五靡まで順に並べていくと以下のようになります。
- 本宮
- 那智山
- 新宮
- 吹越山
- 大黒岳
- 金剛多和
- 五大尊岳
- 岸の宿
- 水呑宿
- 玉置山
- 如意珠岳
- 古屋宿
- 香精山
- 拝返し
- 菊ヶ池
- 四阿宿
- 槍ヶ岳
- 笠捨山
- 行仙岳
- 怒田宿
- 平治宿
- 持経宿
- 乾光門
- 涅槃岳
- 般若岳
- 子守岳
- 奥守岳
- 前鬼三重滝
- 前鬼山
- 千草岳
- 小池宿
- 蘇莫岳
- 二ツ石
- 千手岳
- 大日岳
- 五角仙
- 聖天の森
- 深仙宿
- 都津門
- 釈迦ヶ岳
- 空鉢岳
- 孔雀岳
- 仏生ヶ岳
- 楊子の宿
- 七面山
- 船の多和
- 五鈷嶺
- 禅師の森
- 菊の窟
- 明星ヶ岳
- 八経ヶ岳
- 古今宿
- 朝鮮ヶ岳
- 弥山
- 講婆世宿
- 石休宿
- 一の多和
- 行者還り
- 七曜岳
- 稚児泊
- 弥勒岳
- 笙の窟
- 普賢岳
- 脇の宿
- 阿弥陀森
- 小篠の宿
- 山上々岳
- 浄心門
- 二蔵宿
- 愛染の宿
- 金峯神社
- 水分神社
- 吉野山
- 丈六山
- 柳の宿
(てつ)
2008.2.11 UP
2020.10.10 更新
参考文献
- アルペンガイド18『大峰・台高』 山と渓谷社