み熊野ねっと 熊野の深みへ

blog blog twitter facebook instagam YouTube

鳥居源之丞『熊野道中記』(現代語訳1)

鳥居源之丞『熊野道中記』(現代語訳1) 若山~湯浅

 『南紀徳川史』に収められている「熊野道中記」。江戸時代の記録です。
 『南紀徳川史』では著者不明とされていますが、鳥居源之丞(とりいげんのじょう)が著したようです。享保7年(1722年)。紀州藩主の参詣のための予備調査記録だと考えられています。

  1. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳1 若山~湯浅
  2. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳2 湯浅~印南
  3. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳3 印南~芝村
  4. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳4 芝村~伏拝
  5. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳5 伏拝~本宮
  6. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳6 下り船
  7. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳7 新宮~浜の宮
  8. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳8 浜の宮~那智~湯の峰
  9. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳9 浜の宮~田辺
  10. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳10 新宮~伊勢道
  11. 鳥居源之丞『熊野道中記』現代語訳11 熊野御幸定家記所載王子,果無越

 これは誤記かもと思う箇所は訂正しています。また訳せなかった箇所などもあります。お気づきの点などございましたら、ぜひご教示ください。

 原文をお読みになりたい方はこちら(外部リンク)

熊野道中記

若山より 内原まで2里

 手平村 中島村 三葛村 紀三井寺村  

  紀三井寺金剛宝寺 「護国院という 孝仁天皇宝亀元年建立」

  名草山 万葉集 名草山言にしありけり我が恋ふる千重の一重も慰めなくに
 (訳)名草山は「なぐさ」というので慰めてくれるかと思っていたが、それは名ばかりのことで、 私の恋する苦しさの千分の一も慰めてくれない。

  名草浜 後撰 紀の国の名草の浜は君なれやことのいふかひありときゝつる
 (訳)慰められるのはあなたですよ。言葉を言う甲斐があると聞きました。

内原より 加茂谷まで2里

 黒江村 日方村

  琴の浦 夫木集 春風に浪のしらぶる琴の浦はかもめの遊ぶ所なりけり
 (訳)春風に波が音楽を調べる琴の浦はカモメが遊ぶ所であることだ。

 名高村 田中村 鳥居村

  名高浜  紀の海の名高の浦による波の音高しかも逢はぬ子ゆゑに  人丸
 (訳)紀の海の名高の浦に寄せる波のように、噂が高いことだなあ。逢いもしない子であるのに。

    夫木集 紀の海の名高の浦に行く舟のまほにも人を逢みてしかな  為家
   (訳)紀の海の名高の浦に行く舟の?

  若一王子

  藤白山  有間王子をこの坂で絞り殺したことが日本紀に見える。
    続古今  紀の国に行幸し給ひけるとき よみ人知らず
      藤白のみさかをこゆと白妙の我が衣手はぬれにけるかな
     (訳)藤白の坂を越えようとして有間皇子のことが思われ、涙に袖が濡れてしまったことだ。

    夫木集 藤白のみさかをこえもあへす先目にかゝる吹上の浜  為家
   (訳)藤白の坂を越え?

  峠の王子 峠の道の右は御幸記に塔下と書いてある。
       後の方に御所の芝というのがある。

  地蔵峯寺 峠道の右の地蔵である。
       石像の後に「勧進聖柳山沙門心静大工薩摩権守行経
       元亨三年十月十四日」とある。

  橘本神社 橘本村入口の道より1町程、右の方の阿弥陀寺境内。

  岩屋山福勝寺 橘本王子より2町程奥、本尊は千手観音。裏見の瀧がある。

  入佐山  藤白坂の麓より2町南にある。
       土地の人が、花山院熊野御幸の時に詠んだと相伝える歌。
     橘本に一夜の宿のかりねして入佐の山の月を見るかな
    (訳)橘本に一夜の宿の仮寝をして入佐の山の月を見ることだ。

加茂谷より 宮原まで1里28町

  所坂王子 橘本村内道の右

  一の坪王子 山地王子とも沓掛の王子とも。
        一の坪村の中道の左に嶽山というのが見える。

  蕪坂  檜原峠ともいう。平家物語や太平記にある。上下50町。
      峠の前に沓掛という村がある。白倉山道より左に見える。

  若一王子 下り坂、左の方、畑村。

  山口王子 下り坂、左の方。

  宮原八幡 道より3町程左の方。道村にある。

宮原より 湯浅まで1里20町

  御茶屋の芝 道の左の方。後鳥羽院の熊野御幸の時の頓宮の跡と言い伝える。

  有田川  宮原川とも。水源は高野山より出る。
       川上に石垣という村がある。明恵上人出生の所という。
   拾玉 世をいとふ心ばかりは有田川岩にくだけてすみそわづらふ  慈鎮
  (訳)世を厭う心ばかりがある。有田川の流れが岩にくだけて

  糸賀山 中の番村の南の山の総名である。雲雀山が見える。
      麓に稲荷社や王子社ある。得生寺という寺がある。
       足代過ぎていとかの山の桜花ちらずあらなん帰り来るまで
      (訳)足代(あて。未詳、和歌山県有田郡の郷名か)を過ぎて糸鹿の山の桜花よ。散らずにあってほしい。私が帰って来るまで。

  御茶屋跡 吉川村のはずれ道の右。これも御幸の頓宮の跡という。

  逆川王子 御茶屋跡の南の地続き。

  逆川  王子より1町程南。
    夫木 聞きわたる名さへうらめし熊野路や逆川の瀬をいかにかはせん 為家
   (訳)聞きわたる名さえ恨めしい熊野路であることだ。逆川の瀬をどうするか。 

       飛び違ふ夜半の蛍の光にて逆川の瀬とはしらるゝ  淳国
      (訳)飛び違う夜半の蛍の光で逆川の瀬と知られる。

  祓川  吉川村道より半町。保持右山根。熊野御幸の御用の水であるという。

  顯国社  糸賀より湯浅山根道、右の方。

  ほう津峠 上下5~6町。

  鷹島  湯浅川橋より海中に見える。
    玉葉 我さりて後に忍ばん人なれば飛びて帰りね鷹島のいし  高弁
   (訳)私が去った後に 帰ってください。鷹島の石。

next

(てつ)

2011.2.7 UP
2020.7.16 更新

参考文献